「誰と戦うのか」を、自分の目で確かめる
アルジュナが戦車を中央へ進めるよう頼んだのは、これから自分が誰と戦うのかを近くから確認するためでした。この時点では、戦いから逃げようとしているわけではありません。敵側の戦士をよく観察し、自分が向き合う相手を見定めようとしています。
しかし、遠くから軍勢を見ることと、一人ひとりの顔を目の前で見ることは同じではありません。戦士として行おうとした冷静な確認が、やがて相手は単なる敵ではなく、自分の知る人々でもあるという現実を突きつけます。この「見る」という行為が、アルジュナの大きな心の変化への入口になります。
ギータプレス版からの日本語訳――第1章第22節「私は誰と戦うのか」
yāvadetānnirīkṣe'haṁ yoddhukāmānavasthitān |
kairmayā saha yoddhavyamasmin raṇasamudyame || 22 ||
語句
yāvat は「そのあいだ」「するまで」。
etān は「これらの者たち」、
ここでは敵として布陣している戦士たちです。
nirīkṣe は「よく観察する」「注意深く見る」。
aham は「私」。
yoddhukāmān avasthitān は、
「戦おうとして布陣している者たち」。
kaiḥ は「誰と」。
mayā saha yoddhavyam は、
「私が戦わなければならない」。
asmin raṇasamudyame は、
「この戦いの企てにおいて」「この戦闘において」。
訳
「そして、 戦おうとして布陣しているこれらの戦士たちを、 私がよく観察するまで、 そこに戦車を置いておいてください。
この戦いにおいて、 私が誰と戦わなければならないのかを、 見たいのです。」
注釈訳
アルジュナは、 バガヴァーン・シュリー・クリシュナにこう頼んだ。
二つの軍勢のあいだに戦車を進め、 適切な場所に、 適切な時間だけ置いてほしい。
そうすれば自分は、 戦闘装束をまとって戦いに備えているすべての戦士を、 見ることができる。
そして彼らを近くからよく観察することができる。
この願いの目的は、 これから始まる恐ろしい戦いにおいて、 自分が個人的に誰と組み合い、 誰と戦わなければならないのかを、 はっきり知るためであった。