アルジュナは、まだ迷っていない
ここで視点はアルジュナへ移ります。敵軍が布陣し、武器が放たれようとするなか、アルジュナはガーンディーヴァの弓を取ります。この時点の彼は戦いを拒んでおらず、戦士としての緊張と意気込みに満ちています。
ハヌマーンを旗に掲げたアルジュナは、クリシュナに戦車を両軍のあいだへ置くよう頼みます。彼がクリシュナを「アチュタ」と呼ぶことにも意味があります。御者の役割を引き受けていても、その本質は決して失墜せず、自らの栄光から離れない神ご自身である。そのことをアルジュナは知ったうえで、戦場の中央へ進むよう願うのです。
ギータプレス版からの日本語訳――第1章第20〜21節「戦車を二つの軍のあいだへ」
atha vyavasthitāndṛṣṭvā dhārtarāṣṭrān kapidhvajaḥ |
pravṛtte śastrasampāte dhanurudyamya pāṇḍavaḥ || 20 ||
hṛṣīkeśaṁ tadā vākyamidamāha mahīpate |
arjuna uvāca |
senayorubhayormadhye rathaṁ sthāpaya me'cyuta || 21 ||
語句
atha は「さて」「そのとき」。
vyavasthitān は「自分に敵対して布陣した者たち」。
dhārtarāṣṭrān は「ドリタラーシュトラの息子たち」。
kapidhvajaḥ はアルジュナの異名で、
「旗印に猿を掲げる者」という意味です。
ここでの猿はハヌマーンを指します。
pravṛtte śastrasampāte は、
「武器や飛び道具がまさに放たれようとしている時」。
dhanuḥ udyamya は「弓を取り上げて」。
pāṇḍavaḥ は「パーンドゥの子」、
ここではアルジュナです。
hṛṣīkeśam はクリシュナへの呼び名で、
感官の主、すべての心を知る方という意味を含みます。
senayoḥ ubhayoḥ madhye は「二つの軍勢のあいだに」。
ratham sthāpaya me は「私の戦車を置いてください」。
acyuta はクリシュナへの呼びかけで、
「決して失墜しない方」「本来の自己から離れない方」という意味を持ちます。
訳
王よ、 ドリタラーシュトラの息子たちが自分に向かって布陣しているのを見て、 武器がまさに放たれようとしているその時、 旗にハヌマーンを掲げたアルジュナは弓を取り上げました。
そして彼は、 クリシュナに次のように語りました。
「クリシュナよ、 私の戦車を二つの軍勢のあいだに置いてください。」
注釈訳
偉大な英雄ハヌマーンは、 ビーマセーナへの約束にしたがって、 アルジュナの大きな旗に常に宿っていた。
そして戦いのあいだ、 時おり大きく恐ろしい咆哮を上げたとされる。
サンジャヤがこの節でアルジュナを kapidhvaja、
すなわち「猿を旗印に掲げる者」と呼ぶのは、
ドリタラーシュトラにこの事実を思い出させるためである。
ドゥルヨーダナとその兄弟たち、 また他のすべてのカウラヴァ戦士たちが、 完全な戦闘装束で武器を整え、 まさに戦いを始めようとしている。
その様子を見て、 アルジュナの心にも英雄的な気持ちが起こった。
彼はただちにガーンディーヴァの弓を手に取った。 第20節でサンジャヤが伝えようとしているのは、 このことである。
第21節でサンジャヤは、
ふたたびクリシュナを Hṛṣīkeśa と呼ぶ。
これは、 すべての心を知る神ご自身が、 アルジュナの御者として働いていることを、 ドリタラーシュトラ王に示している。
そのような戦いで、 主ご自身が相手側を助けているにもかかわらず、 勝利を期待することは、 無知と愚かさの極みではないか、 という含みがある。
Acyuta とは、
決して打ち負かされない方、
決して落ちることのない方を意味する。
また、 常に自己のうちに確立しており、 自身の力と栄光から離れることのない方、 という意味もある。
アルジュナがクリシュナをこの名で呼ぶことによって、 彼はクリシュナの栄光と真実の姿を知っていることを示している。
つまりアルジュナは、 クリシュナが自分の戦車を御するという従者の役割を引き受けていても、 それでもなお、 そして永遠に、 神ご自身であると認めているのである。