178.しかし、元の思想を一つずつ戻すと意味が違う
ところが、それぞれを元の文脈に戻してみると、かなり意味が違う。
- ニューソートは、思考を使えと言っていた。
- 自然農は、自然を観察せよと言っていた。
- カウンターカルチャーは、別の社会を作れと言っていた。
- コミューンは、共同で生活を維持せよと言っていた。
- ノンデュアリティは、自己とは何かを問えと言っていた。
- 自己肯定は、成果と人間の尊厳を混同するなと言っていた。
- 女性性論の穏当な部分は、人から受け取ることを拒否し続けなくてもよいという話だった。
どれも、「何もせず他者の生産物を受け取ればよい」とは必ずしも言っていない。
179.削除されたのは「負担」の部分だった
現代化の過程で、それぞれの思想から、負担の大きな部分が落ちていったようにも見える。
- 修行。
- 学習。
- 観察。
- 共同体への責任。
- 社会運動。
- 政治。
- 労働。
- 節制。
- 欲望の抑制。
- 自己検証。
これらは大変である。一方、「受け取る」「手放す」「ありのまま」は魅力的である。
結果として、思想の中から最も消費しやすい部分だけが残る。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 修行、行動、責任、共同体などの条件を除けば、元の教えと同じ結論は保てない 負担となる条件を外しても、心地よい結論だけは成立すると考える
180.「何もしない系」はポスト自己啓発なのかもしれない
こう考えると、現代の「何もしない」スピリチュアルは、ある意味、ポスト自己啓発と呼べるかもしれない。
- 古い自己啓発は、「もっと自分を変えろ」と言った。現代型は、「自分を変えなくていい」と言う。
- 古い自己啓発は、「努力せよ」と言った。現代型は、「努力を手放せ」と言う。
- 古い自己啓発は、「成功をつかめ」と言った。現代型は、「成功を受け取れ」と言う。
しかし最終的に欲しいものは、成功、豊かさ、自由、理想の人間関係という点では、意外なほど変わっていない。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 改善努力を否定することから、成功目標が達成されるとは導けない 自己改善をやめても、成功だけは自然に得られると考える
181.つまり「成功したい」は残った
ここが非常に興味深い。成功哲学を否定したように見える。しかし、成功そのものを否定したわけではない。
- 努力だけを否定した。
- 競争だけを否定した。
- 我慢だけを否定した。
その結果、「苦労せず成功する」という、ある意味では成功哲学の究極形になる。だから、反自己啓発のように見えて、実は自己啓発市場の中に収まる。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 努力という手段を捨てても、成功への執着を捨てたことにはならない 努力をやめたので、成功を求める自分も手放せたと考える
182.そして「何もしない」が商品になる
もし、「成功には10年の修行が必要です」と言えば、購入者は少ない。「毎日3時間勉強してください」でも難しい。しかし、「頑張らなくていい」「むしろ頑張るからうまくいかない」「受け取るだけでいい」なら、非常に魅力的である。しかも、「なぜ受け取れないのか」という問題を設定すれば、次の商品を販売できる。
- 講座。
- セッション。
- ヒーリング。
- コーチング。
- リトリート。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 「何もしない」方法を購入して学ぶこと自体が行動であり、期待する結果を保証しない 「何もしない」方法を学べば、行動せずに救われると考える
183.「何もしないために学ぶ」という逆説
すると、さらに奇妙な状態が生まれる。
- 何もしなくてもよい。しかし、何もしない方法を学ばなければならない。
- 手放せばよい。しかし、手放し方の講座を受けなければならない。
- 受け取ればよい。しかし、受け取りブロックを外すセッションが必要になる。
- 宇宙に任せればよい。しかし、宇宙に任せる方法を教える人にお金を払う。
この逆説そのものが、一つの市場を形成する。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 非行為を学習・訓練すること自体が、新たな行為になっている 正しい「何もしない」を学べば、行為せずに結果を得られると考える
184.そして「何もしない」ことが努力になる
さらに進むと、「ちゃんと手放せているだろうか」「まだ執着しているのではないか」「波動が下がっていないか」「受け取り拒否していないか」と常に自分を監視するようになることもある。すると、頑張らないために頑張るという状態になる。これは、現代の自己啓発文化が持つ自己監視性を、別の言葉で再生産しているとも言える。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 力を抜くための自己監視と訓練は、非努力ではなく別の努力になり得る うまく努力をやめることが、成功のために必要だと考える
185.「何もしない」は本当に自己啓発から自由なのか
この点から見ると、「頑張らないスピリチュアル」は、自己啓発から逃れたようで、完全には逃れていない。古い自己啓発:「自分を管理して成功しろ」新しいスピリチュアル:「自分の波動を管理して受け取れ」管理対象が、行動から、内面へ移っただけとも言える。むしろ内面は外から測定できないため、終わりがない。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 「努力しない自分になる」という命令も、自己改善要求の一種になり得る 努力しない方法を身につければ、もう自己改善から自由になれると考える
186.そして最も安定した位置にいるのは講師である
このシステムで、最も現実的な行動をしているのは、しばしば講師側である。
- 顧客を集める。
- ブランドを作る。
- SNSを運営する。
- 価格を決める。
- イベントを開催する。
- コミュニティを作る。
- 成功例を紹介する。
つまり、市場経済の原則をかなり正確に使っている。
その一方で、顧客には、「頑張らなくてもいい」と教える。ここに、現代スピリチュアル市場の最も興味深い逆説の一つがある。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 参加費による講師の収入は、教えの宇宙法則を証明しない 講師の安定した収入を、教えの法則を体現した証拠だと考える