補論.子宮系スピリチュアルと「何もしなくても与えられる」思想についての仮説
ここで、子宮系スピリチュアルと「何もしなくても与えられる」思想の結びつきについて、もう一つの観点から仮説を考えてみたい。
スピリチュアルな世界観を前提とするならば、子どもが生まれるとき、胎児は単なる母親の身体の一部ではなく、独立した一つの魂・意識・オーラを持った存在として母親のところへやってくることになる。すると妊娠中の母親は、「自分のオーラ」+「子どものオーラ」という、通常とは異なる状態になっている可能性がある。
もちろん、「オーラが実際に存在する」「胎児のオーラが母親に加わる」ということは科学的に確認された現象ではない。しかし、スピリチュアルなモデルとして考えるならば興味深い。母親は胎児のオーラを必ずしも「自分とは別のもの」と認識せず、「自分自身が大きくなった」「自分の存在感やエネルギーが増した」「世界とのつながりが強くなった」「自分が満たされている」といった、自己が拡張した感覚として経験する可能性がある。
「自分では何もしていないのに、巨大なことが起きている」という経験
妊娠という現象の非常に特徴的なところは、本人の意識的努力とは無関係に、巨大で複雑な出来事が身体の内部で進行することである。胎児の心臓を母親が意志によって動かしているわけではない。細胞分裂を努力して起こしているわけでも、臓器を設計しているわけでもない。
それにもかかわらず、自分の身体の中で一人の人間が形成されていく。主観的には、「私がやっていないのに、私を通して巨大なことが起こっている」という経験になり得る。これは神秘思想やスピリチュアル思想と非常に相性のよい経験なのではないか。
「努力して獲得する世界」から「存在することで受け取る世界」へ
通常の社会生活では、
私という一個体 → 自分の意志で行動する → 努力する → 外部から何かを獲得する
という因果関係で世界を経験することが多い。ところが妊娠・出産では、それとはかなり異なる経験が発生する。
自分の内部に「自分ではない生命」が出現する → 自分という存在そのものが大きくなったように感じる → 自分が努力して作っているわけではないのに生命が成長する → 周囲からも配慮・援助・贈り物・関心などが集まる → 「存在しているだけで世界から与えられる」という感覚が生まれる
この経験そのものが、「何もしなくても与えられる」という感覚を非常に強くする可能性がある。
そこにスピリチュアル思想が接続する
この経験にスピリチュアルな解釈が加わると、「女性は本来、受け取る存在である」「頑張る必要はなかった」「自分を開けば宇宙が与えてくれる」「女性性とは受容することである」「存在するだけで愛される」「豊かさは努力して獲得するものではなく、受け取るものである」といった一般原理へ拡張されることは、それほど不思議ではない。
つまり、妊娠・出産という非常に特殊な身体的・心理的経験が、人生全体あるいは宇宙全体についての原理へ一般化されるという構造である。
オーラ仮説から考えるとさらに説明しやすい
仮にオーラや生命エネルギーというものを認めるなら、妊娠中の状態を、母親自身のエネルギーが単純に増大したと考える必要はない。むしろ、「母親の生命場」+「胎児という別人格の生命場」という二重の状態になっていると考えることができる。
しかし母親自身からすると、その二つを完全に分離して知覚することは難しい。そのため、「子どもの生命場が加わった状態」を「自分自身の生命力が増大した状態」として経験する可能性がある。妊娠中に感じられる特殊な充足感や存在感を、「本来の女性性が開いた」「子宮の力が目覚めた」「宇宙とつながった」「本当の自分に戻った」と解釈することも十分あり得る。
出産後に何が起こるか
この仮説でもう一つ興味深いのは、出産後である。妊娠中が「母親の生命場+胎児の生命場」という状態だったとすれば、出産によって二つの生命場は物理的に分離する。すると母親にとって、妊娠中に経験していた「自分が大きくなったような感覚」が弱くなる可能性がある。
その場合、「あの満たされていた状態は何だったのか」「あの状態をどうすれば取り戻せるのか」という問いが生まれる。そこで、子宮、女性性、受容、宇宙、引き寄せ、豊かさ、頑張らない、存在するだけで価値がある、愛される、委ねる、といった思想が、妊娠・出産時に経験した特殊な状態を再び獲得するための説明体系として機能する可能性がある。
オーラを仮定しなくても一部は説明できる
重要なのは、この仮説はオーラの実在を証明しなくても、ある程度成立することである。妊娠・出産では、身体感覚やホルモン環境、自己認識、社会的役割、周囲からの扱われ方が大きく変化する。また、自分の身体内部に別の生命が存在する感覚や、他者から配慮・贈り物・援助を受ける経験も重なる。
したがって心理学的・社会学的な説明だけでも、「努力して獲得する世界」から「存在することで受け取る世界」への一時的な世界認識の変化はある程度説明できる。
二つの説明レベル
したがって、この現象については少なくとも二つの説明レベルを考えることができる。
心理・身体・社会モデル
妊娠による身体変化、ホルモン変化、自己認識の変化、周囲からの援助などによって、「自分の存在そのものが大きくなり、世界から与えられている」という感覚が生まれる。
スピリチュアルモデル
妊娠によって、母親と胎児という二つの生命場・オーラが重なることで、通常とは異なる意識状態が発生する。 母親は胎児の生命場を自分自身の拡張として経験する。
この二つは説明している階層が異なるため、必ずしも直接対立させる必要はない。
子宮系スピリチュアルを思想史的に見る場合
この視点から見ると、「子宮系」を単純に奇妙なスピリチュアル思想として片づけるよりも、妊娠・出産という特殊な身体経験を、人生あるいは宇宙全体についての原理にまで一般化した思想として理解すると非常に分かりやすい。
そうすると、なぜ子宮系周辺で、女性性、受容、豊かさ、頑張らない、委ねる、引き寄せ、存在するだけで価値がある、愛される、宇宙から与えられる、といった概念が一つのパッケージとして結びついたのかも説明しやすくなる。
この仮説の位置づけ
もちろん、実際の「子宮系」スピリチュアルの成立を、この現象だけで説明することはできない。その背景には、ニューエイジ思想、引き寄せの法則、自己啓発、女性性をめぐる思想、フェミニズムとの複雑な関係、セラピー文化、SNS文化、インフルエンサービジネス、スピリチュアルビジネスなど、複数の思想的・社会的系譜が存在する。
したがって、「子宮系思想は妊娠体験から生まれた」と単純に起源を断定する仮説にするより、
なぜ「頑張らなくても与えられる」「女性は受け取る存在である」という思想が、妊娠・出産経験を持つ女性の一部に強く共鳴し得るのか
を説明する受容モデルとして考える方が強い。
仮説を一文でまとめると
妊娠とは、自分の意識的努力とは無関係に、自分の内部で別の生命が成長し、自分自身の存在まで拡張したように感じられ得る特殊な経験である。さらに周囲から援助や関心が集まるため、「存在しているだけで与えられる」という感覚が生じやすい。その経験がスピリチュアルに解釈・一般化されたとき、「女性性=受容」「頑張らなくても豊かさはやってくる」「存在するだけで愛される」といった子宮系的世界観と結びつく可能性がある。オーラというモデルを採用するなら、これは胎児という別の生命場が母親の生命場に重なり、それを母親が自己の拡張として経験している状態、と考えることもできる。
この仮説は、子宮系思想の起源を一つに決めるものではない。第21章で見た思想的・社会的系譜に対して、なぜその語彙が一部の経験と強く結びつき得るのかを説明する、一つの補助線として位置づけられる。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 (オーラの実在や母体・胎児間での増減を仮定した場合)胎児のオーラが母体内に加わることで生じる内的な充足感と、外部からの物質的供給は別の問題と言える 胎児の生命場による充足感を、何もしなくても必要なものが与えられる証拠だと考える