16.ノンデュアリティから来た「何もする必要はない」
さらに別の源流として、インド哲学のアドヴァイタや、それを現代化したノンデュアリティがある。ここでは、「独立した行為者としての『私』は本当に存在するのか」という問いが立てられる。現代のNeo-Advaitaなどでは、“There is nothing to do.”、“You are already That.”といった表現が使われることがある。
しかし、この「何もしなくてよい」は、「家賃を払うために働かなくても宇宙がお金をくれる」という意味ではない。「悟りを未来の目標として獲得しようとしている主体そのものを疑え」という存在論的な話である。
17.「覚醒のために何もしなくてよい」が「生活のためにも何もしなくてよい」へ
ところが、異なる思想が混ざると意味が変わる。ノンデュアリティ:「覚醒のために何も達成する必要はない」引き寄せ:「必要なものは宇宙から来る」自己肯定:「何もしなくても人間として価値がある」自然思想:「世界は人間が動かさなくても動いている」これらを全部合わせると、「何もしなくても人生は勝手にうまくいく」という、元のどの思想にも完全には存在しなかった結論を作ることができる。ここにはかなり大きな論理的飛躍がある。たとえば、「人間の価値は生産性によって決まらない」という命題と、「したがって何も生産しなくても必要な物質的資源が与えられる」という命題は、本来まったく別の話である。
前者は人間の価値についての倫理的・心理的主張である。後者は社会における資源配分についての主張である。ところが現代スピリチュアルの一部では、この二つがいつの間にか連結される。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 覚醒をめぐる「何も達成する必要がない」と、物質生活に必要な行為は別の問題である 覚醒に努力が不要なら、生活のための行為も不要だと考える
18.日本で加わった「ありのまま」「頑張らない」
日本ではさらに、「ありのままでいい」「頑張らなくていい」「自分を大切にする」「好きなことをする」「嫌なことをやめる」といった自己肯定系の思想が、スピリチュアルと強く結びついた。これらも、本来それ自体は不思議な思想ではない。過剰適応している人に、「他人の期待だけで人生を決めなくていい」と言うことには十分意味がある。成果だけによって自己価値を測っている人に、「何かを達成しなくても人間としての価値はある」と言うことにも意味がある。問題は、ここからさらに、「だから何もしなくても豊かさが与えられる」というところまで進んだときである。
「自己価値」と「経済的な供給」が接続されてしまう。
19.「存在しているだけで価値がある」から「存在しているだけでお金が来る」へ
この変化は、段階を追って見ると分かりやすい。
まず、「DoingだけでなくBeingにも価値がある」。次に、「何かを成し遂げなくても、自分には価値がある」。ここまでは、人の価値を成果だけで測らないという自己価値の話であり、十分理解できる。
さらに、「だから自分は受け取ってよい」と進む。これも、援助や好意を受け取ることへの心理的な許可としてなら理解できる。しかし、そこから「だから、必要なお金も物も人も自然に自分のところへやってくる」となった瞬間に、話の種類が変わる。
人間の価値についての議論から、物理的・経済的な結果が生じるという因果関係の議論へ移っているからである。このジャンプが、現在の「何もしなくても与えられる」思想を理解する一つの鍵ではないかと思う。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 人間の尊厳と、経済的資源が自動供給されることは別の問題である 存在に価値があるなら、生活資源も自動的に与えられると考える
20.そして日本では「女性性」が合流する
2010年代の日本では、さらに「女性性」という概念が強く入ってくる。ここでは、男性性=行動する、決断する、与える、女性性=感じる、委ねる、受け取るという二分法が語られることがある。すると「受け取る」は単なる引き寄せの技法ではなく、女性として本来あるべき状態という意味を持つようになる。
さらに、「男性に頼っていい」「男性に与えてもらっていい」「夫に稼いでもらっていい」「女性は好きなことをしていい」という生活論へ発展する場合がある。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 女性性の象徴的な説明と、生活・経済上の役割や供給の仕組みは別の問題である 女性は行動しなくても、男性や世界から与えられる存在だと考える
21.子宮系スピリチュアルという日本的展開
この流れの象徴的な存在の一つが、2010年代に話題になった「子宮系」と呼ばれる女性向けスピリチュアルである。2010年代前半頃からブログなどで発信が広がり、関連書籍も出版された。そこでは、子宮や願望実現を結びつける表現に加え、「引き寄せ」「お金」「豊かさ」といった概念が書名や紹介文の中で直接結びつけられている。ここでは、古典的ニューソートの、「思考を訓練して人生を改善する」という方向からかなり離れている。むしろ、
自分の身体の声を聞く → 本音に従う → 我慢をやめる → 頑張ることをやめる → 受け取る → 世界のほうが動き始める
という構造になっている。これは、輸入された「引き寄せ」が日本の女性向け自己啓発・スピリチュアル文化の中で独自に変形した例として非常に興味深い。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 身体感覚を尊重することは、お金や外界が望みどおりに動く因果を証明しない 身体の本音に従えば、世界が味方して豊かさを与えると考える
22.「お姫様になりたい」という欲望
ここまで思想史として追ってきたが、もっと単純な心理も考える必要がある。つまり、「自分は何もしないで、誰かにすべて与えてもらいたい」という願望である。童話的に表現すれば、「お姫様になりたい」という願望と言ってもよい。衣食住が保証され、愛され、好きなことをして、嫌なことはせず、必要なものは誰かが用意してくれる。
こうした願望そのものは、別に現代に突然生まれたものではないだろう。重要なのは、それがスピリチュアルな理論によって正当化されるようになったことである。
23.単なる願望が「精神的成長」に変換される
たとえば、「働きたくない。でも豊かに暮らしたい」とそのまま言えば、自分自身でも矛盾を感じるかもしれない。ところが、「女性性を開いている」「受け取り許可を出している」「宇宙を信頼している」「執着を手放している」「Beingで生きている」「波動を整えている」と説明すると、同じ状態がまったく違って見える。消極性が精神的成長へ変換される。場合によっては、「行動しないこと」そのものが、宇宙を信頼している証拠と解釈されることすらある。ここまで来ると、元の引き寄せ思想からはかなり遠い。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 行動しないこと自体は、精神的成長や宇宙への信頼を証明しない 行動しないこと自体を、精神的成長や宇宙への信頼の証拠だと考える
24.そして女性だけの思想ではなくなった
ただし現在では、この「何もしなくても与えられる」思想は女性だけのものではない。男性のスピリチュアル発信者にも、「頑張らなくていい」「人生は勝手に展開する」「必要なものは必要なときに現れる」「宇宙に任せればよい」「働かなくても生きていける」といった言説が見られる。ここでは「女性性」という説明だけでは足りない。むしろ、引き寄せ、+ ニューエイジ、+ サレンダー、+ ノンデュアリティ、+ 自然回帰、+ 反労働思想、+ 自己肯定という複数の流れが合流したものと考えたほうが理解しやすい。