得るものより、失うもののほうが大きい
アルジュナは、勝利そのものの価値を問い始めます。王国も快楽も、さらには命さえも望まない。親しい人々を殺して得るものなら、それはもう自分が求めていたものではないと言うのです。
目的を達成しても、その過程で大切な人々をすべて失えば、喜びは残りません。この世でも来世でも、心の苦しみと責め苦だけが続く。アルジュナの問いは「勝てるか」から、「何のために勝つのか」へ移っています。手段があまりに恐ろしければ、王国も享楽も望む価値を失うという主張です。
ギータプレス版からの日本語訳――第1章第32節「勝利も王国も快楽も望まない」
na kāṅkṣe vijayaṁ kṛṣṇa na ca rājyaṁ sukhāni ca |
kiṁ no rājyena govinda kiṁ bhogairjīvitena vā || 32 ||
語句
na kāṅkṣe は「私は望まない」。
vijayam は「勝利」。
rājyam は「王国」。
sukhāni は「快楽」「楽しみ」。
govinda はクリシュナへの呼びかけで、
注釈では「牛を守る者」という意味も示されます。
kiṁ no rājyena は「私たちにとって王国が何の役に立つのか」。
kiṁ bhogaiḥ jīvitena vā は、
「享楽や、さらには命そのものが何の役に立つのか」です。
訳
「クリシュナよ、 私は勝利を望みません。
王国も、 快楽も望みません。
ゴーヴィンダよ、 王国が私たちにとって何の役に立つでしょうか。
享楽が、 あるいは命そのものが、 何の役に立つでしょうか。」
注釈訳
アルジュナは、 自分の心の状態を忠実に描き出した。
近しく愛しい人々を殺すことによって得られる勝利、 王国、 地上の快楽などは、 自分にはまったく望ましいものではないと語ったのである。
彼ははっきり見ていた。
その親族たちを殺すことは、 この世においても来世においても、 心の苦痛と責め苦以外の何ももたらさない。
それなら何のために戦うのか。
なぜ彼らを死に至らせなければならないのか。
そのような恐ろしい手段で得た王国と快楽を、 自分はいったいどうするのか。
アルジュナは、 彼らを殺した後の人生など、 自分には何の役にも立たないという明確な考えを述べたのである。