ギーター第1章第27節後半-第28節前半――アルジュナは深い憐れみに覆われた


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憐れみが、本分を見失わせることもある

両軍にいる親族や師、友人たちを見たアルジュナは、深い憐れみと悲しみに覆われます。目の前の人々を戦うべき相手ではなく、まもなく失われる親しい人々として見たことで、彼の心は崩れ始めました。

憐れみは一般にはよい感情に見えます。しかし注釈では、ここでの憐れみはアルジュナにクシャトリヤとしての本分と勇気を忘れさせる力として説明されます。感情そのものの美しさだけでなく、その感情がいま果たすべき役割から人を離していないかも問われているのです。ここから、第46節まで続くアルジュナの苦悩の言葉が始まります。


ギータプレス版からの日本語訳――第1章第27節後半〜第28節前半「深い憐れみに覆われる」

tānsamīkṣya sa kaunteyaḥ sarvānbandhūnavasthitān || 27 ||
kṛpayā parayāviṣṭo viṣīdannidamabravīt |

語句

tān samīkṣya は「それらの者たちを見て」。

saḥ は「その同じ彼」。

kaunteyaḥ は「クンティーの子」、 すなわちアルジュナです。

sarvān bandhūn avasthitān は、 「そこにいるすべての親族たち」。

kṛpayā parayā は「深い憐れみによって」。

āviṣṭaḥ は「満たされた」「覆われた」。

viṣīdan は「悲しみながら」。

idam abravīt は「これらの言葉を語った」です。

そこにいるすべての親族たちを見て、 クンティーの子アルジュナは、 深い憐れみに覆われた。

そして悲しみに沈みながら、 次の言葉を語った。

注釈訳

前の一節半では、 両方の軍勢の中に立っていた、 アルジュナのおじたち、 祖父にあたる者たち、 その他多くの親族が挙げられた。

しかし戦士たちの中には、 彼との関係がそこでははっきり述べられていない者たちもいた。

たとえば、 ドリシュタデュムナ、 シカンディン、 スラタなどの妻の兄弟たち。

またジャヤドラタなどの姉妹の夫たち。

さらに、 そのほかさまざまな形で彼と関係のある戦士たちである。

サンジャヤがこの節で、 「そこにいるすべての親族たち」と言うとき、 それらの人々すべてが含まれている。

アルジュナは、 戦いのために布陣した近しく愛しい人々を見た。

そして彼らすべてが、 迫りくる大破局の中で避けがたい死を迎えるのだと考えた。

そのとき彼の心は崩れた。

彼は突然、 戦士が持つべきものとは反対の感情に捕らえられた。

それは過度な同情とやさしさから生じた、 臆病さであった。

これがサンジャヤの言う「深い憐れみ」である。

その影響のもとで、 アルジュナは自分本来の性質、 すなわちクシャトリヤとしての勇気を忘れてしまった。

そのため彼は、 「憐れみに満たされた」と言われている。

この節で使われる idam、 すなわち「これらの言葉」とは、 次の節から第46節までにアルジュナが語るすべての言葉を指している。

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