101.これは思想の「劣化」なのか
では、この変化を単純に「思想の劣化」と呼べばよいのだろうか。必ずしもそうとは言い切れない。思想は社会の中で使われる以上、必ず変形する。仏教もインドから中国へ入り、中国から日本へ入る過程で大きく変化した。
キリスト教も地域と時代によって異なる形になった。ヨーガも、古代インドの修行体系から現代の健康文化まで大きく変化している。思想が移動すれば、その社会が必要とする形に翻訳される。したがって、引き寄せが日本社会の中で「頑張らない」「ありのまま」「女性性」などと結合したこと自体は、文化変容として不思議ではない。
興味深いのは、その変容の方向である。
102.日本社会が「頑張らない」を必要とした可能性
日本社会には長い間、次のような価値観が強く存在してきた。
- 勤勉。
- 我慢。
- 努力。
- 組織への忠誠。
- 他人に迷惑をかけない。
- 空気を読む。
- 責任を果たす。
そうした社会では、「もっと努力しなさい」という自己啓発よりも、ある時点から、「もう頑張らなくていい」という自己啓発のほうが魅力的になる可能性がある。
つまり、「頑張らないスピリチュアル」は、単なる怠惰の思想ではなく、過剰な勤勉社会への反作用として現れた面もあるのかもしれない。
103.「努力すれば報われる」が崩れた時代
さらに社会経済的な変化も考えられる。高度経済成長期には、努力する。
- 勉強する。
- 会社に入る。
- 長く働く。
- 昇進する。
- 所得が増える。
- 家を買うという物語には、ある程度の現実的な裏付けがあった。
しかし経済成長が鈍化し、雇用が不安定になり、努力しても所得が増えない人が増えると、「努力すれば報われる」という物語そのものへの信頼が低下する。そのとき、「もっと努力しろ」と言われても説得力がない。そこで逆に、「努力するからうまくいかない」という思想が魅力を持ち始める。
104.成功哲学から「脱・成功哲学」へ
20世紀の自己啓発は、成功するために、目標を設定し、計画し、努力し、自己管理することを教えた。しかし21世紀になると、その成功哲学そのものに疲れた人々に向けて、別の市場が生まれる。「目標を持たなくていい」「頑張らなくていい」「嫌なことはしなくていい」「自分らしくいればいい」「宇宙に任せればいい」と語る市場である。
これは一見、自己啓発への反抗である。しかし、「それによって最終的には豊かになれる」と約束するなら、成功という目的そのものは残っている。
方法だけが、努力から無努力へ変わったのである。
105.成功を捨てたように見えて、実は成功を捨てていない
ここは重要である。本当に競争社会から降りるのであれば、所得が低くても、質素な生活でも、社会的地位がなくても、消費できなくても構わない、という方向になるはずである。これは伝統的な修道生活や、一部の自然回帰思想に近い。
しかし現代の引き寄せ型「頑張らない」では、しばしば次のようになる。
- 働かない。しかし、お金は欲しい
- 競争しない。しかし、豊かにはなりたい
- 努力しない。しかし、理想の生活は欲しい
- 会社には縛られたくない。しかし、旅行や美容や快適な住宅は欲しい
つまり、資本主義的成功を否定しているのではなく、成功に必要とされてきたコストだけを否定しているとも言える。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 成功のための手段を捨てることと、成功要求そのものを捨てることは別である 努力をやめても、成功や豊かさはそのまま得られると考える
106.ここに現代スピリチュアル特有の矛盾がある
この意味では、「何もしなくても豊かになれる」という思想は、反資本主義と資本主義の奇妙な混合物である。
- 労働倫理は否定する。
- 競争も否定する。
- 会社組織も嫌う。
- 大量消費社会を批判することもある。
しかし同時に、経済的豊かさ、自由な旅行、快適な住宅、好きなものを買える生活、時間的自由は求める。つまり、生産システムには参加したくないが、その生産システムが作る豊かさは享受したいという矛盾が生じる場合がある。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 努力を否定することから、成果が得られるという結論は導けない 頑張らないことと成功することを、同時に保証された一組の教えだと考える
107.自然回帰型とはここで決定的に分かれる
昔の自然回帰運動には、「消費そのものを減らす」という方向があった。
- 自分で作る。
- 修理する。
- 再利用する。
- 小さな家に住む。
- 自給する。
- 大量消費から離れる。
だから、所得を減らすことと生活がある程度整合していた。一方、現代の「何もしない引き寄せ」では、消費水準を下げるのではなく、高い消費水準を維持したまま労働だけを減らしたいという願望が現れることがある。
ここは、1960~70年代型カウンターカルチャーとの大きな違いである。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 必要を減らすことと、外部からの供給を増やすことは異なるモデルである 欲望を減らさなくても、自然に生きれば供給が増えると考える
108.「豊かさ」という言葉が便利な理由
そこで「お金持ち」という露骨な言葉より、「豊かさ」という言葉が好まれる。「豊かさ」には、お金、愛、時間、人間関係、健康、自然、精神的充足など、さまざまな意味を入れられる。
そのため、「豊かさを受け取る」と言えば、物質主義的にも、反物質主義的にも読める。非常に便利な言葉である。そして実際の商品説明では、その「豊かさ」の中に、収入増加や理想の生活が暗示されることがある。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 心理的、関係的、金銭的な豊かさは、それぞれ別の状態として確かめる必要がある 心理的に豊かだと感じれば、金銭的な豊かさも保証されると考える
109.「お金ではない」と言いながら、お金の話になる
この文化では、「お金だけが豊かさではありません」と言いながら、講師自身の高収入、海外旅行、高級ホテル、ブランド品、理想の住宅などが成功の象徴として提示されることがある。すると参加者には、「精神的な豊かさの話なのだ」という説明と、「この方法を実践すれば経済的にも豊かになれる」という期待が同時に与えられる。この曖昧さは、マーケティング上かなり強い。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 非金銭的な満足と、金銭が得られることは別の問題である 物質主義を否定しながら、金銭的豊かさも当然に得られると考える
110.曖昧な言葉ほど反証されにくい
「年収が必ず1000万円になります」と言えば、検証できる。しかし、「豊かさが流れ込んできます」なら検証しにくい。
- 何か良いことが起これば、「豊かさが来た」と言える。
- お金が増えなくても、「心が豊かになった」と言える。
- 人間関係が改善すれば、「豊かさを受け取った」と言える。
- 何も変わらなくても、「内側では変化が始まっている」と言える。
こうして理論の適用範囲が無限に広がる。
この章で生じうる解釈の乖離
論理的に確認できること 感情が先行した解釈 定義が変動するため失敗条件を特定できない どんな結果でも「豊かさ」と呼べるため、教えは常に当たっていると考える