■スピリチュアルとは何か?
これは人によって定義が異なるように思います。ここでは、古典的なスピリチュアルのモデルとして以下のような構造であると捉えています。

世間一般で言われているスピリチュアルとはオカルト全般だったり引き寄せの法則だったり宗教だったり、はたまたカルトなど。要は、よく分からないことを一緒くたにスピリチュアルと表現している状況だと思うのです。それよりも、古典的モデルに当てはめてみればスピリチュアルの行く先は明確なのです。
そして、現象界を理解するために様々な霊的なことやオーラ、チャクラ、守護霊、チャネリング、多次元、パラレルワールド、転生、サムサーラ、など多様なものが関わってくるわけです。しかし、基本は上記のようなモクシャ(自由)になること、いわゆる解脱がスピリチュアルの行き着く先なのです。それはこの世界からの分離ではなく、それを実現するためには世界の平和も絶対的に必要です。何故ならこの世界は集合意識で出来ているからです。一人だけ自由になるということではなく、皆が自由(モクシャ)になる道筋を立てるということは、それは世界平和ということなわけです。
初段階のスピリチュアルは割と玉石混淆で詐欺的なものも多いため気をつける必要があります。と言いますか半数以上が怪しいもので、開催している当人に悪気はないことも多々ありますがわかっていてマーケティングでスピリチュアルで稼いでいる人も一定数います。宇宙人だとか、わかるようでいてわからないことを持ち出してチャネリング等も自称した挙げ句に高額セミナーに誘導する方もいます。あまり知らないと煽られた挙げ句に財布が軽くなるまでカモられることでしょう。この段階はスピリチュアルとは言わずに普通に仕事を一生懸命やっていた方が幸せなことも多い段階です。この初段階においては、知識よりもまず、自己統制と冷静さ(内的浄化)を浸透させなくてはならない時期になるのに、多くのスピリチュアルは欲望実現や現実の引き寄せに一生懸命になり、興味本位なことを宣伝し、物珍しさを助長し、欲望や渇望を助長する手助けをしているのです。そこに救いはないと言えます。本当のスピリチュアルをするにはまず、自己を確立しないとならない、その素質が必要です。素質がないまま知識を手に入れれば「ヨーギには解放を与え、愚か者には束縛を与える」の古代の格言のごとく、その知識や行動が自らを更に縛り付けることになるでしょう。と言いますか、そこにすら達していないところが多いというのも現実です。ただ単に欲望を助長したり叶えるだけになってしまっているのです。例え希に真実の知識に辿り着いたとして、完全に目覚めていない人に「貴方は全て(ブラフマン)だ」と宣言することは愚かで、それが本当は真実だったとしても、その知識により当人は縛られてしまうことでしょう。最近は早々に知識が与えられてしまうために、多くの人が「私は知っている」と勘違いをし、本質を見出せなくなってしまっているのです。それは準備が出来ていないからです(当人はそうは思っていないとしても)。知ることにより、エゴが「もう知っている」と自己防衛に動いてしまうのです。これはスピリチュアル初心者あるあるです。正しい知識は準備が出来ている人を解放する一方で、愚か者にはくびきを与えてしまうのです。世間にある多くのスピリチュアルは、当人がまだ知るべきでないことを知らしめてしまうことにより、自身を含め人々を不幸にしてしまうのです。であればスピリチュアルなどない方が良いのかもしれません。一般大衆向けのスピリチュアルの大半はあまり当人のためになっていないように思うのです。であれば、最初にすべきは当人の自己統制と浄化であり、よくあるスピリチュアルのような引き寄せの法則ではないのです。そんなことを周囲から言ってもお金と知識を与えられた大半の人にこれらの言葉は届かないでしょう。それが今のスピリチュアルの状況であるように思います。既に知っているかのような、エゴの自己防衛反応に囲まれてしまっているのです。
このサイトでは、それらの怪しいスピリチュアルやカルトおよび世間の欲望の渦にも切り込んでいきます。