[4/2] Yさんからのお便り
昨夜、体を使ったヨガをして、呼吸法に入り、調子が良かったのでそのまま頭の中を空っぽにし、しばらく瞑想していました。(20〜30分程度) すると、頭の中?の空間が広がっていく感覚になりました。そこに私がいるにはいるけど、いないような気もしました。これは、真我・ハートだったのでしょうか? あと、頭頂がムズムズしました。 ワヤナタさんも同じような感覚になるのでしょうか?人によって違うと思いますが。
<回答>
そうですね。そういう可能性はあるかと思います。カーラナかもしれません。
どちらにせよ一時的なものですので、常時そのような状態になれるまで瞑想を深めると良いと思います。
[4/4] (別の)Yさんからのお問い合わせ
1年ほど前から毎日見て、参考にさせていただいてます。ワヤナタさんは一日どれくらいの時間を目安に瞑想していますか。また、時間帯など、適した時間があればお伝えくださるとありがたいです。また、最近、集団瞑想を呼びかけるものを目にします。集団瞑想について、ワヤナタさんのご意見を伺いたいです。
<回答>
一般的に、朝の時間が良いとされています。例えばシヴァナンダの「瞑想をきわめる」と言う本では夜明け(午前4時から6時)と日没時が良いとされております。瞑想の長さは一般的には1日に1回20分から30分が良いとされていて、基本的にはそれで良いと思います。私の場合、1日に、朝と夜(時には昼も)合わせて合計で2時間を目安にしており、最近はそれより長いことが多いです。流派によっては2時間を基準としているところもあるようですが、特に決めずに、意識がクリアになるまで時間が許す限り続けても良いと思います。
集団瞑想は、伝統的なものであれば、それは良い効果があるために長く続いていると思われます。最近の流行りのものはそこまで追いかけておりませんのでよくわかりません。インドのとあるアシュラムで行った集団瞑想は良いものでしたし、良い集団瞑想は多くあると思います。指導者次第だと思われます。
[4/5] Kさんからのお便り
半年ほど、瞑想と日常の無念無想(静寂の境地までは到達)、スピリチュアルの勉強(当サイトもよく学ばせていただいてきました)を通じて、魔境に落ちた者です。内容としては、アジナが不意に回転しはじめ、覚醒したかと思えば、昨年の12月から2ヶ月ほど邪霊や一般的に禅病、アセンション症状と言われてるような症状に見舞われた次第です。現在、周りの助けも得て、全快し、前よりも霊的に成長できましたが、今後も瞑想の階梯を深めていけば、こうした事は当たり前に起きるのでしょうか。現在、学生でこのまま続けて良いのか少し迷いがあります。また、学生時代のトラウマもそうですが、魔境のエピソードも何かあれば語っていただけると幸いです。あと、この場合、魔や私のカルマの影響が師にも及んだりはしたのでしょうか。及んでいたとしたら申し訳ないです。長文ですがよろしくお願いします。
<回答>
瞑想が深まるにつれ、自分が原因による不調はどんどんと減っていくかと思います。次第に自分のエネルギーが高まっていくにつれ他からの影響を受けにくくなります。それでも、自分より力のある存在からの影響は、そのエネルギーの質に関わらず、その存在が目に見える見えないに関わらず、影響を受け続けると思います。自分よりもエネルギー的に弱い存在の影響は受けにくくなるとはいえ、人の少ない田舎や固定の人間関係の続く学校などの環境、あるいは会社などで執拗に精神的な攻撃(モラハラ、パワハラ、嫌がらせ)を継続的に受け続けると少しづつオーラのガードが壊れていってオーラが拡散した状態になり、不調になっていわゆる霊障や魔境と言われる状態になることもありますし、悪ければエネルギーヴァンパイア状態にされてしまうこともあるかと思いますので注意が必要です。どのような職業につくかにもよりますが働き出したら一般的には時間も取りにくくなりますし疲れることも増えます。ですので、学生のうちにできるだけ瞑想は深めておいた方が良いと思われます。
一旦学生のうちに可能な限り瞑想は深めて、働き出したら崩れるかもしれませんが、またその状態を乗り越えて瞑想を深めることができればその時にはかなり成長していると思います。
[4/6] Rさんからのお便り
『魂の消滅』『魂がない(NPC)』という状態においての魂の定義というのは、ヨーガでいう所のどの階層に相当するのでしょうか。アートマンとしての意識(魂)は消えるということは無いと、大抵は言われてますが。
<回答>
以前それを書いた時は、ヨーガの階梯とは関係なく、幽体離脱で見聞きした見解を元に記載致しました。魂という言葉を、記事の中で、消滅や融合する可能性のある有限の存在として記載している時と、アートマン(真我)としての意味として使っている箇所がそれぞれあり、混乱させてしまったかもしれず申し訳ありません。ご存知の通りアートマン(真我)は過去現在未来にわたって永遠に存在し、意識でもあり、この世全てに満ちており、それはイコール、ブラフマンであります。ですからアートマン(真我)が消滅しないというのはその通りです。魂という時、この意味におけるブラフマン=アートマン=真我としての魂は消滅しませんが、どうやら、個としての、割と低次の個という存在の魂の部分は、見かけ上だけのことだとも言えるかもしれませんが、消滅するようなのです。死後に幽体になって、割と自由な状態になってあの世を生きるわけですけど、そこから更に、魂の消滅、あるいは、幽体の消滅、とも言えることが起きて、そうなると、認知できない状態になって、消えてしまうようなのです。それが、他者によって荒っぽい能力者によって強制的に消滅させられてしまう場合もあれば、あるいは、円満に(幽体の状態から更に上昇して)昇天して光の中に消えてゆく、いわゆるグループソウルに帰る、(幽体の)分霊が高次の本体(更に高次の自分、集合意識)に融合される、ということもあるのかな、と考えております。これはヨーガの5つのコーシャのうちのどれかと関連しているとは思いますが、はっきりはわかりません。この辺りはまだ謎が多く、探究途中でございます。
[4/6](別の)Kさんからのお便り
ライトワーカーとして活動する中で、何かアドバイスがあれば教えてください。精神的な安定を取り戻し始めて以来、『祈りと言っても難しく考える必要はなくて、要は浄化で、対象を思ってその邪念が祓われますようにと思いを向ければ浄化は自動的に起こってゆきます。それは自分で行う自分に対する瞑想と同じことで、その意識が広がってゆけば意識の中で日本列島が見えてきて、日本列島の浄化も同じように行うことができるわけです』この知見をもとに、周囲の状況ないし土地を浄化している(つもりかもしれないですが、うまくいってる事を願ってやってます)ところです。親元で場所も田舎で学生なため、たいした社会的な活動や霊的な活動はできませんが、何かアドバイスがあれば幸いです。
<回答>
素晴らしいです。ふと「(見えない)ガイドの声を(今まで通り、今まで以上に)しっかり聞いて頑張っていきましょう」というメッセージが届いた気がしましたのでお知らせさせて頂きます。
[4/7] Nさんからのお便り
アセンションの意味がわかりません。個人でのアセンションと地球全体のアセンションが別の意味であるそうです。アセンションについてあなたの意見を聞かせてもらいたいです
<回答>
(一般的に)アセンション(=次元上昇)は気にする必要はないと思います。元々ニューエイジでアセンションが出てきた当初は地球全体のお話で、個人的な意味は含まれていなかったかと思います。昨今のスピリチュアルで個人的なアセンションが語られていて、個人的なアセンションは単に個人的にスピリチュアルな成長をする、という意味かと思います。元々言われていたアセンションの意味は、古めの本をいくつか読むと理解できると思いますが、どちらにせよ、あまり気にする必要はないかと思われます。基本のスピリチュアルな成長をすることが第一ですので、アセンションとか宣伝されている方々に惑わされないのが良いかと思います。
[4/7] Rさんからのお便り
前回の説明でしっくりきました。ご回答ありがとうございます。邪悪な道を突き進み過ぎて良心を失った末に魂は消滅する(セントラルサンに連れてかれる)と聞いてましたので、そのパターンもある感じですかね? 昨日、瞑想をしてたら、ほのかな甘い香りが漂ってきました。同時に、心地よい涼しい気と共に顎に溜まっていた邪気が浄化されていき、ヴィジュッダからサハスララにかけてエネルギーの詰まりが取れてスーッとしました。また、最近は、日常的にも、ナーダ音や4096hzの音が聞こえてます。 これはカラーナに入ったということですか?また、業務上、パソコンやスマホを長時間扱うため、肩の凝りと目の疲れが解消されにくいです。こちらも、瞑想を深め、チャクラを覚醒させれば、改善できますか? 視力の回復が目標です。ワヤナタさんと近い仕事なので、興味深いです。また、リクエストですが、チャクラの覚醒に関して、記事で取り上げてもらいたいです。本山博さんの本がなかなか手に入らないもんで笑. また、頭脳、知性や感性面での変化に伴い、受験や資格勉強で成績が上がるといった事はありますか?ワヤナタさんのTOEICの成績を見て思いました。働きながら大学再受験を考えた時に、数少ない時間で偏差値や英語や数学の技能を上げれたらと思っています。色々、質問してますが、ざっくりとでも大丈夫です。
<回答>
セントラルサンの話は前に読んだことがある気もしますが個人的には良くわかりません。瞑想の感覚の表現的にはカーラナ以上の段階の可能性が十分にあると思います。目の疲れは、私は長くパソコンを使っていますので、昔から、疲れない目の使い方をしているつもりで、チャクラと目の疲れの関係は、なくはないかと思いますが、それより慣れやコツの方が大きいかと思います。本山博先生の本は「密教ヨーガ」が一つあればとりあえず足りるかと思います。普通にネットで今も買えます。瞑想が進めば認知が進み、勉強や視覚面でスコアが上がるということはあります。一つの区切りとして、ゾーンに入ることができれば仕事や勉強の効率が上がり成績ももちろん上がると思います。
[4/7] Yさんからのお便り
ヒーラーでお金を取るという行為に関してどう思いますか?奉仕は無償ですべきであるのに、アチューメントと称して、自然の力(霊的エネルギー)を商品と化すのはどうなのか、と思います。また、魑魅魍魎や妖怪というのはアストラルに存在するそうですが、かつて人間だった者なのでしょうか。
現代人の大半は仏教でいわれてる地獄(下層アストラル界)に落ち、魑魅魍魎になってしまうと言う情報があります。また、魑魅魍魎はそこらじゅうに存在すると聞きましたが、霊視はできないため、見えないうちに隣り合わせになってると考えると気持ち悪くてたまりません。霊体を傷つけてくる魑魅魍魎や不快な霊的な存在も含めて、退治してしまっても私はカルマは背負わないのでしょうか。そうした存在の実態をもう少し詳しく知りたいです。お化け退治をしたいというよりは、瞑想を邪魔してくるのならば、手当たり次第対処法を考えたい、といったところです。あと、悪魔とは存在するのですかね?
<回答>
生きている以上は多少はお金も必要ですから、取り過ぎなければ多少のお金を頂くことに問題はないかと思います。魑魅魍魎は元人間で高次の部分が抜けてしまった抜け殻の場合もありますし、単なる想念の固まりの場合もあります。自分より力のある存在には基本的には敵いませんので、魑魅魍魎だろうが、悪魔的な存在だろうが、退治しようなどと思わず避けることが第一で、もし影響を受けてしまったら引き抜く程度くらいしかできないのではないかと思われます。基本的に自分の波動が上がればそのような低次の存在に左右されにくくなりますので、退治などする必要もなくなります。
[4/7] Rさんからのお便り
ツインソウル、ツインレイという概念について、何か知っていれば教えてください。また、今後、弟子をとったり、道場を開いてスピリチュアルの指導にあたったりといった事はありますか。何かの縁でワヤナタさんと夢で会ったことがあるかもしれません笑. その時に、曼荼羅について習ったような… 与太話程度に流してくれても構いません。
<回答>
ツインソウルやツインレイについては以前にも書きましたが、同じグループソウルから分かれた分霊同士という関係であればあり得ると思いますが、世間で言われているような、必ずツインになる、みたいなお話は良くわかりません。高次の世界から転生するときに、最後に2つに分裂して片方が転生して片方がスピリットのまま転生せずにガイドとして導く場合はあると思います。私や私の属するグループソウルではツインソウルのような形での人生を送ることは基本的にないのですけど、世間は広いので、そのようにしていつも分霊が転生しているグループソウルもいらっしゃるのかもしれませんね。そのような可能性はありますが、個々のやり方のお話で、一般的なお話ではないかと思います。
弟子は募集しておりませんが今後はわかりません。私は曼荼羅について詳しくありませんのでそれについて教えられることはほとんどありません。夢の世界は本当に現実のアストラル世界を動いている場合もあるにはありますけど、基本的には自分の中で閉じた想像の世界を見ていることが多いかと思います。
[4/7] Kさんからのお便り
『ロゴス・キリストとは誰ですか。 君たちの惑星の進化の最高責任者となる霊的な存在だ。キリストとイエスという組み合わせを、どう理解したらいいのでしょ う? キリスト意識の状態とでも考えるべきでしょうか?キリストというのは高度に進化した霊的な存在で、君たちと同じよう に、独自の意志と個別性をもって存在している。それゆえ、ある意識状態という以上のものだ。意識状態というのは存在そのものではなく、ある存在の表現形態だからだ。』(魂の法則Ⅱ(愛の法則))ヴィンセント・ギュレム著] 進化の階梯を踏むにつれて、聖なるものに近づいていく一方、個別性(エゴではなく個性)は強まると、聞きます。魂の消滅は恐ろしいものと思いましたが、低俗なものが取り払われていくという解釈として、いずれもOKですかね?また、この本を一度読んでいただきたいなと思って。エゴの形態や愛についてとても勉強になりました。 あと、毎日参考にさせていただいてます。 貴重な経験や見識を学べることに、感謝します。ありがとう。
<回答>
人間としてのイエス・キリストと、スピリチュアルの階梯としてのワンネス段階におけるキリスト意識とは分けて理解すると良いと思います。ロゴス・キリストという言い方は私は詳しくはありませんが、内容的に、ワンネス状態のことを言っているように思われます。
低俗なものが取り払われる、というよりは、もっと大きなサイクルの中で、肉体を失っても幽体としてあの世を生き、あの世においてもやがて幽体が死んでその一つ上のいわゆるグループソウルに融合されて戻ります。それを下の階層から見ると消滅に見える、と理解すると良いと思います。肉体が肉体を見ても消滅に見えますし、幽体から幽体を見ても消滅に見えるわけです。ですが、実際には、どちらの場合にも、階層は違えども、大きなサイクルの中で循環しているわけです。
[4/8] Kさんからのお便り
『基本は無心、なれど、それは本当に何もないわけではなく、体を動かしている意思というものが直接体を動かしている状態。』この状態において、ワヤナタさんの意識は、まさに『心の作用が死滅されてしまった時には、純粋観察者である真我は自己本来の状態にとどまることになる。』といったところで、体を動かしてる意志をただ観察する、という状態であってますか。また、この場合、『静寂の境地に至ると、行動そのものが自らの意思と一致するようになります。』とどう変わりましたか。私自身、前に比べて、少し静寂の境地から最近はタマスに覆われて、機械的になっており、どうにかして抜け出したいものです… また、前回推薦した『魂の法則』『愛の法則』は2つとも無料でPDFでネットで読めるのでおすすめです。
<回答>
ヨーガやヴェーダンタあるいは仏教では割と「観察(ヴィパッサナー)」という面に重きが置かれていて、それ故に純粋観察者という概念が出てきたりしますが、実のところ、意識は観察だけでなく能動的な意識も持っていて、基本は観察者ですが能動的な意思という側面もあるわけです。このあたりは私は本山博先生の論述を参考に理解しました。ですので、それらの表現はどちらか片方だけというわけではないわけです。観察だけでもなく、行動の能動的な側面だけでもなく、両方になります。最初は一時的に静寂の境地になって、そのくらいの状態ですと観察が主ですが、少しづつ日常生活にそれが広がっていくと観察だけでなく能動的な側面も出てくるわけです。能動、というとニュアンスが伝わりにくいかもしれないですが、「創造」と読み替えてもいいと思います。
それと、私もまだまだ気が散る時は普通にあります。スピリチュアルな成長の度合いは少し進んでは少し戻って、を、繰り返しますので、たまにタマスに覆われていたとしても、そういう時もあると思います。自分ではまだまだだと主観で思っていても、実際は成長している、という場合もあります。色々細かいことに気がつくようになると、些細なことでもまだまだできていない、と思ってしまうようになったりもしますし、意外に急に抜け出せたりもしますので、あまり気にしなくても良いのではないかと思います。
[4/9] Kさんからのお便り
ワヤナタさんが危惧していた2.3年前と比べて日本や世界を覆う怨念や厄災は振り払われていってますか?私の住む土地はそうでもないとの事ですが、最近、中国が台湾に軍事圧力をかけていたりと、かなり不穏に思われます。また、今夜、平和を意図した瞑想をやっていたところ、ハートチャクラが厚くなり、スーッとしましたが、一方で脳内にサイレンが響いています。これは何を意味するのでしょうか。ご自身の体験談などあればお伝えください。
<回答>
外出自粛中は人通りが減って静かになったことにより町全体から怨念がかなり取り払われてかなり良い状態が続いたかと思います。最近は人が街に出始めてまた怨念が若干増加傾向のようにも思いますが心配する程度ではないと思います。イライラしていたりキレやすい人が若干増えた気も致します。ただ、あくまでも個人的な印象です。最近は私の方の変化も大きいので周囲の環境の違いはそこまで的確に捉えられていない可能性があり、実際は怨念は増えているのかもしれません。それが正しい気も致しますが、主観としては街は落ち着いています。
サイレンなどのいわゆるナーダ音はあまり気にする必要はありません。浄化が進んできた時に聞こえる音ですが、基本的にナーダ音自体にそこまで深い意味はありません。大きな変化の時に音がすることもあり、具体的な現象と結びついている場合もありますが、基本的にそれを具体的に知る必要はないですし、何度も起こるのであればそれとなく類推することはできるでしょうが、知ったからといってその知識自体でどうこうなるわけでもありません。昔の書物にはチャクラに対応した音が書いてあったりしますが、必ずしもその表現が一致していなかったり複合だったりしますので、音による判定は難しいと思います。状態が変化してきている、というくらいの理解で十分で、基本的に気にしなくて大丈夫です。
[4/11] Bさんからのお便り
言われた通りに瞑想をやっていますがこれもスピリチュアル修行なのでしょうか?
<回答>
瞑想するにしても、目的を見定めてからするのが良いと思います。スピリチュアルな成長が目的であればそれはそうなるでしょう。私はてっきり貴方がそれ(スピリチュアルな成長)を求めていると思っていたのですが、迷いがあるのであれば瞑想によって自分が何をしたいのか何を目指しているのかまず見定めると良いと思います。瞑想は義務ではありませんのでやるならば自発的な態度が必要になります。