サハスララより上は虚の感覚、顕在意識が横に避ければサハスララに繋がる

2023-02-16 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

あるのだけれども無いようにも感じる、虚の感覚が致します。普通の感覚が顕在意識だとしたら、(意識はしているので)無意識ではないものの中間的な意識である潜在意識とでも言える部分が、いわゆる虚と言っても良いかもしれません。これは精神分析の言葉ではなくて、何か良い表現がないかと探して使った言葉です。

普通の顕在意識で普通は瞑想はするわけですけれども、基本は瞑想において眉間に集中するわけですが、サハスララから上がるにはサハスララに意識を合わせた方が良くて、ここで言う意識というのは顕在意識のことで、虚の方ではなくて、正の、表の方の普通の意識をサハスララに合わせるわけです。そして、サハスララより上はその普通の顕在意識では、なんとなく感じられるだけに過ぎなくて、鬼太郎アンテナのようにピンと張って細く繋がっているのがわかったり、それなりに太く繋がっているというのはわかるわけですけれども、その、わかるというのは、顕在意識側からすると、そうなっていることが、文字通り、わかる、という感覚なのです。

一方、虚の方からすると、実際にサハスララより上に伸びているオーラの部分、それが虚の方で、普通の顕在意識とは違うのですけど、一応は多少は意識が通っていて、それでも、正の表の部分とは言えない面がサハスララの上の方に伸びているわけです。その、虚の部分というのは実は体の方にもあって、割とはっきりと感じられるのは後頭部より上の方からですけど、その、後頭部からサハスララにかけて虚が伸びているわけです。

瞑想をしても、なかなかサハスララから上にオーラが伸びていかない時があります。そういう時は基本は(普通の意識である)顕在意識をサハスララに向けるわけですけど、その、普通の顕在意識そのものはサハスララより上には伸びないわけです。それでも、サハスララを開くという効果はあって、頭を物理的に緩ませるだとか、虚のオーラがサハスララより上がるための準備はできるわけです。

そうして、サハスララに意識を合わせてそれなりの準備が整った後、意識の向ける場所を(瞑想の基本である)眉間、あるいは、下腹部、はたまた、体の中でオーラがまだ弱い部分(私の場合は右腕)に合わせてそこにもオーラを充満させるようにします。それはそれでオーラが平準化されるという効果があるわけですけど、そうすると、下腹部など体の下半身が充実して、頭の部分に顕在意識が向いていない状態になります。

この状態は、おそらくは本山博先生が「下実上平」と言っている状態に似ているようにも思います。お腹より下は充実していて、それで、頭などの部分は顕在意識がはっきりしてバランスが取れている。本山博先生は虚という言葉は使ってはおらず、上には「平」という言葉を使っていて、本山博先生は虚という言葉を(ここでの虚とは違う意味として)バランスを崩した、という意味で使っていますが、それはそれで先生の言われるコンテキストでは正しいとは思います。下は充実して、上は平ら、というのはその通りで、一方で、不意に、意識の外側でサハスララにオーラが伸びるのです。それが虚の状態になるわけですけど、本山博先生のいわれている虚のことではなくて、意識の外側にある何か、あるのだけれどもない、そのような虚のオーラが不意に後頭部からサハスララに登るわけです。

上は平で、下は充実しているのが下実上平で、上が虚でもいけないし、下が虚でもいけない、というのは本山博先生風の表現ですけど、それはそれで正しくて、私の今回のことは、その外側に、後頭部から虚のオーラがサハスララに登っているように思うのです。

そうすると、虚のオーラが特に後頭部に充実して、もしまだサハスララより上にオーラが伸びていないようであればこの時点で虚のオーラが(顕在意識の介在なしに)自然にサハスララの方に伸びて、それが細ければ鬼太郎アンテナのようにピンと張った状態として(顕在意識にとっては)認識されますし、一方、既にそれなりに開いていて、更に充実して虚のオーラが上に太く伸びるのであれば、それは相応に(顕在意識に)そのことが認識されます。

認識する方は顕在意識だとして、実際に、サハスララより上に伸びるのは虚のオーラなわけです。

それは虚とは言っても実態を持っていて、感覚を「感じる」という部分と、細くて微細ではあるものの「働きかける」という面を持っていて、単なるオーラではなくて、文字通り「意識」としての側面を持った虚のオーラなわけです。

実際には、虚のオーラそれ自体が意識しているというよりも、そこから繋がっている、という面の方が大きいかな、とも思うのですけど、顕在意識の側からすると繋がっているのか虚のオーラ自身が思考しているのか見分けがつかなくて、虚の面から、より大きな意識が現れる、あるいは、繋がっている、というように感じられるわけです。

その、繋がっているのか、あるいは、それ自体が思考しているのか、見分けがつかない、つきにくい、そういう性質を持っている虚のオーラがサハスララより上に伸びているわけです。

サハスララより上に伸びるのがその虚のオーラだとすれば、顕在意識で一生懸命サハスララより上に上がろうと努力してもそれだけでは不十分で、ある程度まではサハスララまで顕在意識で準備として普通の正の面のオーラを充実させることは出来ますけど、それなりに準備が整ったら、顕在意識はちょっと横に避けて、虚の面のオーラにお任せすれば自然にサハスララより上に伸びて繋がってくれるわけです。

例えとして適切かどうかはわかりませんが、これは、男女の役割に似ていると思います。男の性が正攻法である程度まで攻略した後、正面突破からは難しい段階になった段階で、虚の面である女性が、その先をやすやすと攻略して解決するわけです。男性は男性だけでは達成は難しく、一方、女性にしても準備を整えてくれる男性がいてこそ可能になることがあるわけです。それは正と虚の役割分担ということもできて、サハスララより上は正攻法ではなくて、顕在意識を横に避けることで虚のオーラが自然に上がるように思います。



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