ハイヤーセルフに自らを委ねる

2023-01-16
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

ハイヤーセルフの意識は、「わたし」という肉体の目を通じてものを見、同様に「わたし」という肉体の耳、触覚など五感を通じてものを見るわけです。それは顕在意識の普通の思考する心(マインド)もそうだと言えばそうなわけですけど、階層が違うわけです。マインドとしての思考する心は肉体にしっかりと結びついていて肉体こそが自分だという感覚および自分の思考や概念こそが自分だという考えに固執する性質があるわけですけど、ハイヤーセルフからすると肉体というのは道具でありますので、「わたし」という道具を通じて世界を認識するわけです。高次の意識というものは別にあるにはあるわけですけど、この地上の三次元の世界を認識するのはこの「わたし」と一応は言われている肉体を通じて行うわけです。

マインドが自分のことを自分だと思うことと、ハイヤーセルフが「わたし」という体を通じて世界を認識するのとでは、かなり違う事柄なわけです。

少なくとも空に達していないとこのことがよくわからなくて、心理学や仏教あるいはヴェーダンタはたまたヨーガ等でもこのことが言われてはいるわけですけど、実感としては少なくとも空くらいに到達しないと自覚できないわけです。

空でこの知識が本当だったのだということを実感し始めるのですけど、その後に、無念無想が容易になってヨーガ・スートラで言われている「チッタ(マインド)の揺らぎ(ヴィリッティ)の停止(死滅)」に日常生活においても静かに安らかに達成できるくらいになる、そのくらいから、自身の中にある「わたし」という立場が、「マインド(自我、エゴ、ジーヴァ)」から「ハイヤーセルフ」にバトンタッチを始めます。

空であっても、まだ、優勢なのは基本的にマインド(自我、エゴ、ジーヴァ)でした。それが、ハイヤーセルフの意識に立場を譲って、ハイヤーセルフが自身の人生を生きるようになるのです。

実際のところ、このバトンタッチが現れる前であったとしてもハイヤーセルフが実は人生を動かしているのですけど、それに自覚的になって理解をするのが空だとして、実際にハイヤーセルフが表に出るのが次の段階なわけです。それは空を超えてヨーガ・スートラの完成に至る頃に起こることで、自我(エゴ、ジーヴァ)の側からすると「ハイヤーセルフに委ねる」ということになるわけですけれども、実際のところ委ねるというよりも、最初から実はそうであったわけですので、その事実に気がついて認める、というくらいのことなわけです。