マインドを一時的に抑え込む(無念無想)ことで高次の意識を目覚めさせる

2022-12-15 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

瞑想をして、最初からサハスララに意識(あるいはオーラ、はたまたプラーナ、エネルギー)が集まっている時もあれば、少し瞑想をして意識(オーラ)を上げる一手間が必要な時もあります。どちらにせよサハスララが優勢になったとして、それだけでも十分に意識は静まっており安らぎの状態にあって幸福を感じられるわけですけれども、それに加えて、顕在意識を更に鎮めて無念無想の状態にするとハイヤーセルフの意識が目覚め始めるように思うのです。

ここで言っている無念無想とは普通の顕在意識の思考する心(マインド)のことで、ヨーガでいうところのチッタ相当なわけですけれども、その、心の顕在意識および記憶を司るチッタの揺らぎ(ヴィリッティ)が静まって平らになり、平たく言えば「雑念が収まる」ということでありますけど、雑念だけでなく、意図的な思考も含めて止めて無念無想にします。そうすると、高い意識であるハイヤーセルフが少しづつ表に出てくるように思うのです。

実のところ無念無想かどうかとは関係がなくてハイヤーセルフの意識はそれはそれとして存在しているわけですけれども、慣れないと普通の顕在意識(マインド相当、思考する心)とハイヤーセルフの意識とが混同して見分けがつかない、あるいは、つきにくい状態なわけです。ですから、ハイヤーセルフの意識を目覚めさせることそれ自体には実は無念無想は必須ではないのですけど、やり方として、無念無想の状態にマインド(チッタ相当)を一時的に押さえ込むことでどの部分がハイヤーセルフなのか、その感覚が掴めるように思うのです。マインド(チッタ)というものは動く性質を持っていますので思考をしたりあるいは記憶が蘇ってきたりと、実のところ永久に止めることはできなくて、それが性質であるのですからそれは変えられないわけですけど、それでも、一時的に静止させることでそれよりも高次元の意識についてより自覚的になれるわけです。

これはヨーガ・スートラで述べられていることですが、チッタ(思考する心、マインド、記憶)を鎮める(ヴィリッティの死滅)ことがヨーガの(一応の)完成と見なされているわけです。それはハイヤーセルフ(あるいはアートマン)の意識を目覚めさせると言うことでもあり、ハイヤーセルフの意識というのは普遍に存在していて永遠かつ満ちているものであるわけですけど、普遍であるからこそ元々存在していたわけですがただ単に自分(顕在意識)がそれに自覚的でなかっただけであり、自覚的になるための手法として無念無想(マインドの一時的な死滅)があるわけです。

■静かに息を吐くことでハイヤーセルフを優勢にする

そうした手法を基本として、最近割とやりやすいと思っているのが静かにゆっくりと息を吐くことで、実のところゆっくりと静かに息を吐くだけでは不十分で、その前提条件としてハイヤーセルフの意識がある程度出てきている状態になっていないといけなくて、それはつまりサハスララにまでオーラ(プラーナ、およびクンダリーニ)が上がっていることが必要なわけです。

その前提条件を満たした上で、ゆっくりを息を吐いて無念無想になれば高次元であるハイヤーセルフの意識が少しづつ表に出てきます。
それは最初は掴みどころがないものではありますけど、例えばオームやオー、と言う割と短音のマントラを唱えて上の方にその高次の意識があることを掴むことができます。

あるいは、特別に修行という形式を取らなくても普段の仕事に集中して一生懸命すればやがてゾーンに入れるようになり、そのことで高次元であるハイヤーセルフに繋がって仕事をすることができるようになります。ゾーンですから基本は歓喜なわけですけれども、歓喜というのは感情の面だけのことであり、感情の歓喜だけではなく(ハイヤーセルフが優勢になることで)先をよく見通すことができるようになりますし、結果、仕事のクオリティや速度も上がります。直感がよく働くようになるわけです。

ゾーンに入る時はある程度のオーラの高まりと共にサハスララも活性化されるわけですけれども、仕事を通じてそのような状態に入りやすくなるわけです。

仕事を経由するにしても、瞑想を経由するにしても、どちらにしてもハイヤーセルフに繋がるわけですけれども、仕事ですと周囲からのノイズや干渉がどうしても多くなってきますので意識が高まりつつある頃に精神的に強いショックを受けて不安定になることがあり、仕事を通じたゾーンというのは気をつけなくてはならない面もあります。

一方、安全なのは、自分で瞑想をしたり、ゆっくりと息を吐いて意識を鎮める、などの方法で、どちらにせよ最初はゾーンの歓喜を通り抜けるわけですけれどもやがて歓喜という感情の面は静まってきてやがてサハスララが活性化し、ハイヤーセルフの意識が表に出てくる、優勢になってくるわけです。

仕事に集中していたり何気ない日常生活の中で一時的な歓喜とハイヤーセルフとの一瞬の繋がり・直感というのは割と誰でも時折あるわけですけれども、瞑想で鎮めていった場合は継続的に日常生活の中にまで徐々に静けさが広がってゆく、という違いがあります。ある、ない、で言いますと最初からあるわけですが、持続性が違うわけです。