ハイヤーセルフの意識に目覚めて全体と繋がりワンネスに至る

2022-12-03 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

人生は全て完璧だったし今もそうです。自分(真我)が人生を創造しています。

それは真実であり、真実ではなかったことなど今までかつてなかったし、今もそうであるし、未来もそうなわけです。自分の中にあるハートの真我、それはハイヤーセルフと言ったりアートマンと言ったりもしますが、その本当の自分(真我、アートマン、ハイヤーセルフ)が人生を創造しているわけです。ですから、人生は全て完璧なわけです。

これは理屈だけのお話ではなくて、実際にそうで、それに疑問を唱えること自体が不健康で真実から遠ざかることになりますので、疑問を投げかける余地もなく、常にそうで、真実に疑いはないのです。

顕在意識において「自分の人生は完璧です」と願うとハートとの繋がりが強まります。一方で、逆のことを願うと胸が苦しくなって胸の中で何かが破壊されてしまうような、ハートとの結びつきが失われることにつながります。ですから、自身の人生において、それがどのようなものであろうとも、自身で責任を持ってその完璧さを受け入れることが重要なわけです。

ですけど、そうは言っても人生は苦しかったりします。それは明確なハイヤーセルフの選択の場合もあるでしょうし、あるいは、ハイヤーセルフがこの地上の人生に未自覚であまり地上のことをわかっていなくてなんとなく選択している場合もあります。そうであったとしてもハイヤーセルフは全ての選択を受け入れているわけです。それは、地上の人生としては苦しみであったとしてもハイヤーセルフとしては学びであるからです。

これはハイヤーセルフ(真我、アートマン)の意識に目覚める前は基本的にはただの知識でしかなくて、目覚めた後は本当であることを自覚するわけですけれども、本当ではあるもののハイヤーセルフの意識に目覚める前にこのことを考えてもあまり仕方がないという面もあって、であるから、このことを教えることは必ずしも必要ではなくて、ハイヤーセルフの意識に目覚める前にこのことを勉強してしまうと自我が勘違いしてしまうことがあって、自我であるところの自分はヴェーダンタで言うところのジーヴァなのですがそのジーヴァ(自我としての自分)が勘違いをしてしまい、自我(エゴ)としてのジーヴァが自分の人生を作っていると勘違いしてしまうことが多分にあります。いわばその当たり前の当然のお話はハイヤーセルフとしての自分が人生を創造していると言うことであって自我(エゴ)の自分が人生を創造してはいないわけですけど、ハイヤーセルフの意識に目覚める前は多分に自我(エゴ)としてのジーヴァの自分が人生を創造していると勘違いしてエゴが拡大するということが多分にあるわけです。

ですから、このことを知っておいてもいいのですけど勉強をするのであればしっかりと勉強をして勘違いをしないようにする必要がありますし、勉強がしなくてもただ単に瞑想をしてハイヤーセルフの意識に目覚めればこのことは自身でその通りだと自覚できる当たり前のことだったりしますので、それほど急いで身につける知識でもないわけです。

その勘違いの危険性はあるものの、それでも、やはりハイヤーセルフとしての自分がハートの中から人生を創造していて全てのことに責任を負っていて、何一つとして自分が作り出していないものはなく、全ては自分が作り出した現実であることを自覚するわけです。自我(エゴ)としての自分はそのことを自覚できなかったり納得できなかったりすることはあっても常にハイヤーセルフは正しくて、とは言っても現世的な失敗というものは確かにあって、それも含めてハイヤーセルフは学びとして受け入れているわけです。ですから、ハイヤーセルフからしたら実際には物事に良し悪しはなくて現世的な失敗も含めて全て正しいとも言えるわけですけど、その一方で、自我は選択をして良し悪しをつけたりしていて、それでも、その自我の判断それ自体は問題がないわけです。そして、そのような自我の判断も含めてハイヤーセルフは全てを選択しているとも言うことも一応はできるわけですけどそのような表現は多分に誤解があって、ハイヤーセルフとしての判断は割と高次の判断になりますのでざっくりとしたことを選択して全てを完璧として受け入れる一方で、自我(エゴ)としての判断は細かいわけです。それは役割分担であって、現世的な低次の判断であってもそれはしっかりと判断する方が良くて、現世的な判断をしっかりとした上で、現世的な次元では成功も失敗も一応はあるはあるのですけど、ハイヤーセルフからすると成功も失敗も含めて学びであるわけですから全て完璧であるわけです。

一見神様のように思えても大抵は「外側」で、瞑想をしていると、時に、どこかわからない「天」だとか(外にある)「神様」だとかに祈ったり依存してしまう状況に陥ることがありますけどそれは落とし穴のようなもので、実際には、自分のハイヤーセルフが胸の中から全てを創造していますので、自分のハイヤーセルフを元に全てが創造されていることに気付くことで成長できるわけです。

特に成長できない時、苦しんでいる時、どこかわからない「神様」とか外に願ったりしますが、そういう願いはエゴが拡大するよりはマシではありますけどちょっと的外れで、実際には自分自身が人生を作り出しているわけですから、それを自覚できるように自分を浄化してハイヤーセルフの意識に目覚める方が良いわけです。

ハイヤーセルフの意識に目覚めれば自動的に自分(ハイヤーセルフ)が人生を作り出していることを自覚できるようになりますし、最初は疑問を持ったりもしますけどそれはすぐに解消されて、それが当然だと言うことがわかるようになります。

それでも、時に、成長が止まっていると思うような時があって、そういう時についつい外側にある「神様」とか「天」に(習慣などで)願ってしまうことがありますけど、基本は自分自身のハイヤーセルフが自分の人生を全て統括しているということであって、神様であろうとも実は大抵は「外側」であって、語りかけたりするのは自分自身のハイヤーセルフにするのが基本でありますし、何かに頼るというよりは自分の胸の中のハイヤーセルフを頼るということが基本であって、「外側」であるものに頼るということは第一ではなくて、それがたとえ神様であったとしても外側で、まず自分自身のハイヤーセルフに繋がった上で他者と繋がるということはあっても、ハイヤーセルフの繋がりを忘れて他者と繋がるというのはそれがたとえ神様であったとしても依存でしかないわけです。

実のところハイヤーセルフの意識は個としてのアートマンに相当しますが、それは実は全体としてのブラフマンと同一だとヴェーダンタやスピリチュアルでは言われていて、実際そうで、ハイヤーセルフと繋がるということは、それは一応は個としての高次の意識ではあるものの、それはまた同時に、より高次とも言える全体意識ブラフマン、あるいは創造神とも言える全体的な存在へ繋がる入り口でもあるわけです。

ハイヤーセルフの意識と繋がっただけでも一応はワンネスでありますし、それ以前であってもワンネスと言えばそう言える状態になることは多々ありますけど、それぞれの段階では至福や全体意識との一致を感じたとしても本当にワンネスになるにはハイヤーセルフをも超えてブラフマンと繋がった段階なのかなと思います。それ以前はあくまでも個として至福を感じてワンネスを感じるというくらいであり、そうは言いましてもそれ以前の段階から比べると格段に至福は高まっておりますのでそれぞれの段階ではとてつもない幸福感を感じて「ただただ幸せ、ただただ満足」を味わうのですけど、そうは言っても、その至福というのは個としての至福であるわけです。それは無駄ではなくてそこを通らないと本当のワンネスには至らないわけですし、実際、ハイヤーセルフのワンネス、あるいはそれ以前のワンネスであっても人生を豊かに生きるには十分過ぎるほど十分なわけですけど、ハイヤーセルフのワンネスまできたら次なる全体ブラフマンのワンネスはそう遠くないと思うわけです。

(私はまだブラフマンまで達していないわけですが、)もし世間でいう悟りというものがあるとしたら、ブラフマンのワンネスは一応は悟りと言っても良いのかな、という気が致します。