深い瞑想に入る時にやってくる魔(同テーマ&時系列の前記事)

魔を避けるスピリチュアルと避けないスピリチュアル

2022-11-10
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

流派によっては、魔(あるいはトラウマ)から逃れられるとか破壊できるとか言って、避けたり排除・破壊する術を教えているところがあります。一方、魔を正面から受け止めて克服させる流派もあるわけです。

どっちもどっちで、個人の自由ではありますけど、魔を避けたり排除・破壊したりする流派は魔がやってくる度に対処しなくてはならないので割と面倒ですし、魔に対する根本的な抵抗力というものがなかなか育たないような気がいたします。その上、ずっと避けてしまったが故にいざ魔に遭遇してしまった時のダメージも大きかったりしますし、避け続けているうちに段々と疲れてくる傾向があるように思います。結局、自分の波動がそれほど高くないがために避けたり術を使って排除・破壊しているわけで、波動が高ければそれほど気にすることはないのです。

スピリチュアルで魔に遭遇するのは必然で、魔に遭遇していないということはスピリチュアル的には割と初心者で、魔に遭遇していないということは瞑想がそこまで進んでいなくて、単に体や気の次元(ヨーガで言うプラーナ)で元気になって喜んでいるだけなわけです。

魔を避ける流派の傾向としては、多少ながら魔に遭遇し始めるとその魔を良くないものだと思ったり、瞑想中に良くないトランスにはまり込むとこれまた良くないと思ったりします。

一方、魔を必然だと考える流派もあります。

ヨーガや神智学あるいはヴェーダンタなど各種のスピリチュアルでは人の階層を幾つかに分けていて、物理的なもの、アストラルなもの(気の次元、プラーナ、思いの世界)、コーザルの世界(原因の世界、カーラナ)、プルシャ(あるいはアートマン)などに分けていますけど、このうち、思いの世界であるアストラルを通過するためにはどうしても魔が出てくるわけです。

仏教などではこれを魔境と言って避けていますけど、アストラルなものを通過せずしてその先はないわけです。

又、術などで避けたり排除・破壊したとしても日常生活を送る上で新たな魔は多少ながらやってきてしまいますから、そのような術や手法に頼ってばかりいても、真の安永には程遠いわけです。

短期的には術というものも手助けになるでしょうし、とても苦しんでいらっしゃる方を助ける一時的なヒーリングなども必要かと思います。ですが、長期的な解決とは別なわけです。

それに、そもそも特定のトラウマを理解するミッションもあるのですから、必ずしも魔が悪いということはなく、全ては必然なわけです。全ては許されていて全ては正しいのですから、魔を避けるも克服するも好きにすれば良いというのが基本なのですけど、長期的に解決するには避けるより自分の波動を上げて影響されないようにした方が良いわけです。



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