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術は一時的な至福、自己実現は継続的な至福

2022-11-08
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

魔術など技術を使って術を使えるようになると、往々にして、神や天使を使役するという考え、あるいは、自分が神だという教えあるいは考えに至り、傲慢になってしまうわけです。神に委ねるということを忘れてしまっているか、あるいは、違って捉えてしまっているわけです。

おそらく、ですけど、アトランティスもそのような人が多かったのではないか、という気がしておりますが、さすがに昔のことですのでなかなか確証は持てないのですけど、そのように考えるのが合理的な気がしております。

現代においても魔術師はいますけど、中にはアトランティスと同じ轍を踏んでいる方もいらっしゃるように思えて残念です。

実のところ、この地上の術というのは主にアストラル領域(思いの世界)に作用するということは、それ以上の能力というものも存在するわけですけど、コーザル(カーラナ)あるいは(ヨーガでいうところの)プルシャ(あるいはアートマン)の領域にまで到達して行使する術というものはそれほどないように思います。

コーザルはまだアストラルと地続きですけど、プルシャになりますと次元を異にしておりますから能力的にもかなりの違いがあるのですけど、呪文や呪術は思いの世界のアストラルですし、幾何学という「形」に根ざしたものはコーザルまでですので、プルシャになると物質ではないですからそのようなものの影響が及ばない世界ではあるのですけど、そうなると、いわゆる「術」は効果が及ばないわけです。

そのプルシャ(あるいはアートマン)の世界がいわゆる神様の領域(の入り口)なわけですけど、そこにいわゆる「術」はもはや存在しないわけです。

では、そのプルシャ(アートマン)の領域は何かというと、先に書いたサッチダナンダの領域で、それは永遠に存在して満ちている意識なわけです。生まれたこともなく無くなることもない満ちた意識は、ざっくばらんに言えば「感謝」と「愛」の世界なわけで、その世界に到達したら、「術」など興味を失います。

「術」を使って「現実を変える」だとか、願望を実現するだとか、そのようなことは自己実現の悟りに比べたら小さいものであり、たとえそれで人助けをしたり、時にはヒーリングもこの世界を生きる上では大切になることもあるでしょうけど、そのような一時的なものはそれなりに一時的な助けにはなりますけど、永遠であるアートマンの満ちた愛と感謝と意識に比べたら、とても小さいものなのです。

アートマンに至れば悩みもなくなり、意識が満ちた状態になります。最初はそれは時折現れたり少し垣間見るくらいですけど、やがて、それが普通になってきます。次第に自己実現の悟りが確固なものとなり、常に至福の状態になります。

その永続的な至福と比べたら、一時的な術はそれはそれで一時的に役立つにせよ、とても比べるものではないわけです。



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