術が使えるようになると人は傲慢になりがち(同テーマ&時系列の前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)術は一時的な至福、自己実現は継続的な至福

自己実現して悟りを得なくても術は使えてしまう

2022-11-07
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

自分が自我(エゴ)だと思っている状態、それはヴェーダンタではジーヴァと表現されますけど、ジーヴァとして生きている間はこのことは理解されません。自我(エゴ)があるのですから、そこには変化があって、儀式など受けることによって変化します。成長している、と思うこともあるかもしれません。ですけど、それは自己実現をしてジーヴァとしての生活が終わるまでのことで、ジーヴァから本来のアートマンあるいはブラフマンとしてのサッチダナンダが本来の自分、いわゆる真我であることを自覚したのならば、表面上のオーラや眠っているカルマの状態は変化するとしても、本来の自分である真我は何も変化しない、ということに気がつくのです。

この、真我(アートマン)を見出すこと、あるいは自己実現と表現することもありますけど、そこに至らない場合でも、術はそれなりに使えるのです。そして、そうして使った術は結果を伴って、その結果というのは主にアストラル界の領域(思いの世界)で作用しますから、その領域の問題の解決にはとても役立つのです。

例えば、オーラの中に深く眠っていて取りにくいカルマの種を破壊したり、トラウマを細かく砕いて消滅させたりします。カルマの種はアストラル界のもう1つ上のコーザル界(カーラナ)と言われていますけど、私の見たところ、アストラル界とコーザルとは割と繋がっているように思えます。著名な先生もコーザルまでが「物質」の世界だと言われていたりしますし、確かに、感覚としてもそれは一致します。

そのように、アストラルの領域が主となり一部はコーザルにまで渡って作用を及ぼすような術はそれはそれで有益になる時があって、技術としてそのようなことができる人に委ねることも時には有用かもしれません。ですけど、かと言って、そのような人が悟っているとは限らないのです。

このように、有益な場合もあるのですけど、他人のセッションを受けるのは危険な場合もあります。と言いますのも、誰かにセッションをしてもらうときは自分のオーラが無防備になって、施術師が意識している場合もあれば無意識におこなっている場合もありますけど、施術によってオーラの操作やカルマの操作もされてしまう時がありますから、施術には気をつけた方が良いのです。

特に、術が長けてきて自分が神かのように思い違いをしている人は、初見では見抜くことは難しいかもしれなくて、最初は強いオーラがあって優れた人かのように見えつつも、実はエゴが強かったりします。

(続きます)



術が使えるようになると人は傲慢になりがち(同テーマ&時系列の前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)術は一時的な至福、自己実現は継続的な至福