悟りのないサイキック能力は人生の苦しみを深めるだけ

2022-10-29
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

サイキック能力を高めるならば悟りも相応に高めていかないとサイキックになったとしても邪悪なものを引き寄せてしまったり悪霊ばかり見えるようになったりして、苦しむことになります。最初は見えないものが見えるようになって喜んだりしたとしても、自分の波動が低かったりしますと邪悪な次元と繋がってしまって、日々苦しんだり、面倒になったりします。

波動がそこまで高くないと例えば街歩きの場合でも悪霊を避けたり人混みを避ける必要が出てきて、色々と面倒なことがあります。波動が高ければあまり気にしなくても次元が異なっていますから影響されません(ものにもよりますけど)。

都会には色々な悪霊が漂っていて人々は知らずにその悪霊を通り抜けたりしていますけど、そういう時、自分の波動が低いと多少ながら同調して気分が落ち込んだりします。ですけど、自分の波動が高ければ影響が少ないですし、近くにいるだけでそういう悪霊にエネルギーが与えられて成仏に近づいたりします。

実際、サイキック能力がなければ「知らぬが仏」というもので、街の雑踏の中に悪霊が漂っていて自分がその中にもろに突っ込んでしまって低いオーラを拾ってしまったとしてもたまたま気分が悪くなったとしか思わないでしょうけど、霊視などができると悪霊は奇妙な気持ち悪い姿形をしていますから、それを避けて歩こうとするわけです。

そうして、邪悪なものを避けて生きることが霊視によって可能になるわけですけど、そうしてサイキック能力で見分けて生きていると、実際のところ、「ただ、それだけ」でしかないわけです。邪悪なものを避けて生きていたとして、永久に避け続けることができたとしても、避けることと悟りとは関係ないわけです。

自分の波動が低くて、それでも霊視ができる場合、それは能力開発ですからやろうと思えばできるわけですけど、そのように自分の波動が低いと浮遊霊などが見えてしまって、見えるということは自分の波動がそれに同調しているということですけど、同調している状態ですと、それから影響を受けてしまうわけです。そうして苦しみが生まれてきます。霊視によって見えてしまって苦しみ、悪霊を避けようとして歩くルートを変えたりすることは、割と面倒なわけです。そうしていると、疲れてきたりします。

私のグループソウル繋がりの人生のいくつかにおいてこうして邪悪なものを避ける生活をしてきて、結果、疲れてしまっていたように思います。時に、避けるのに一生懸命になってしまい、次第に邪悪なものに対する抵抗力を失って行ったりします。

それよりは、悟りを目指して、何も見えなくても、何に接触したとしても影響されない、波動の高い人生を目指した方が良いわけです。