上(宇宙)と繋がると自分が周囲から丸見えだとわかる

2022-09-23 記載
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

▪️瞑想で頭の上に光の湯気が抜けるようになる

ここ最近は更に頭の中が緩んできて、頭の奥の方にまで感覚が少しづつ出てきたような気が致します。今まで硬くて感覚がなかったところにも光のエネルギーが少しづつ染み込んできて、頭蓋骨も緩んだのか、窮屈になってきたのか、頭蓋骨が時折動いてピキピキ音がすることがよくあります。最近、少し古い帽子が出てきて被ってみたのですけど意外に窮屈で頭にはまらなくて、以前より頭が少し大きくなっているのかもしれません。生地ですので帽子が縮む可能性もあるにはありますけど、古いとは言ってもせいぜい10年くらい前の帽子が頭にはまらなくなる、なんてことありますかね? 瞑想で頭が緩んできた、と考えるのが合理的のように思います。スピリチュアルの書物でも、頭の中、特に松果体が大きくなる、みたいなお話が時々ありますし。

今まではまるで乾いた川に水が時折流れては頭頂のサハスララから上に時々繋がる、という感じでしたが、ここ最近は頭の割と全体に光のエネルギーが充満していて、それでも頭頂の方にはエネルギーが満ちていたり満ちていなかったりと濃淡はありますけど、瞑想しているうちに頭頂のサハスララにまで光のエネルギーが満ちて、そうすると頭の上に光が湯気のように立ち上るようになりました。

光ではありますけど感覚としては湯気なのです。光がどうして湯気なのか、そこは不思議でよくわかりませんけど、エネルギーとしては光ですし、立ち上っているのは湯気のような感じで上に登っているので、文字だけを見ると意味不明かもしれませんけど、実態はそうなのです。

頭だけでなく体の中にも更に光が浸透してきて、今まで感覚が届いていなかったところにもエネルギーが行き渡ることで、体の各所に残っていた「しこり」のようなところも光に溢れて緊張が取れ、しこりの原因が解消されたりしました。

元々、アナハタにおいていわゆるハイヤーセルフと繋がってから胸の辺りはかなり充実していたわけですけどそれは割とスピリチュアルな高次のエネルギーで、それに加えて、もう少し肉体に近いところの気あるいはプラーナのエネルギーとして体に光が充実してきたわけです。

そうしてエネルギーを通しているうちに瞑想中にふと気が付いたのが、胸の中に何やら硬いものが落ちていて、最初はそれは「しこり」の一種かなと思っていたのですけどどうやら違うことに気がつきました。私は昔から右肩が弱くてそこから生霊や死霊に取り憑かれることが多かったのですけど、右肩と左肩の違いとしては、左肩はしっかりと骨格とオーラの膜が肩につける鎧のようについていてガードされているのに対し、右肩には肩につける鎧のようなオーラの膜がありませんでした。その、右肩につけるオーラの鎧が、何故か、胸の辺りに押し込まれてオーラの中に落ちていたような感じだったのです。一旦気が付いたならば話は早くて、それをオーラの手で摘んで持ち上げて右肩に戻してあげると、すぐに左肩と同じとまでは行かないですけどそれなりに右肩の防御ができるようになりました。そうでなくても最近は影響があまりない状態にまでなってきていたわけですけど、元々あるべき状態に戻った方が安定はするわけです。

この種のエネルギー状態は肉体といわゆるアストラル(気やプラーナ)およびスピリチュアル(のエネルギー)とでそれぞれ存在していて、その領域は連続して繋がってはいるのですけど、それでもある程度の区分けはあって、肉体とアストラルとスピリチュアルのエネルギーの状態がそれぞれ活性化することで三位一体のように良い状態が保たれるように思います。

そのような状態になると、サハスララから上に光のエネルギーが昇りやすいように思うのです。


▪️上(宇宙)と繋がると自分が周囲から丸見えだとわかる

お気軽なもので、繋がる前はプライベートがあると思っていたりもするわけですけど、上と言っても良いですけど宇宙あるいはハイヤーセルフ、はたまた「天」と言っても良いですけど、頭頂のサハスララから上の方に繋がるとそこは宇宙で、その視点においては、自分がまるで広い空間の真ん中に立っていて、周囲のどこからも自分が丸見えなのがわかるのです。

これは誰であっても、上と繋がる前であっても最初からずっとそうで、誰しもが最初から周囲から丸見えなわけですけど繋がっていない人は勘違いをしてプライベートがある、なんて思い違いをしているわけです。

その世界はスピリットの世界で、一応は時間と空間に縛られてはいますけど、この地上よりは時間と空間の縛りが緩い世界です。

同じ世界に死後のスピリットも滞在していて、先祖だった人ですとか仲の良かった人が滞在している世界になります。死後の世界というのが分離して存在しているわけではなくて、この今の宇宙がそのまま死後に生きる世界そのものでありますけど、多少の波動領域(周波数)の違いがあって、この世界に波動(周波数)の違いこそあれ、同じところに存在しているわけです。世界はもっと広くて物理的制約にそこまで縛られないわけですけど、それでも、地球由来の人は地球の周囲の空間に留まっていることが多いわけです。

その、スピリットの世界でもあるこの世界の別の視点があるわけですけど、上(宇宙)と繋がると、その宇宙の視点が認識できるようになります。そして、その世界では、思考については生きている状態とそこまで変わらなくて、他人の思考を読めるかどうかという点に関しても生きている状態と変わらないわけですけど、変わるのは、宇宙の空間には壁みたいなものはあるにはありますが特に意識しなければその壁は作られることはなくて、基本的には宇宙の中に、自分という存在が周囲から丸見えのまま存在しているのです。

ですから、誰にもわからないだろうと思って悪いことをする人がいたとしても、それは丸見えだったりするわけです。死んであの世に行ってから先祖や身近で見ていたスピリットにきつく叱られた、なんてのはよくある話です。

三次元で肉体的・物理的に誰も見ていなかったとしても実のところ丸見えなのだとすると、次第に日常の全てで誰かに見られているかもしれない、と思いつつ行動するようになるものです。

昔から、「お天道様が見ている」みたいなお話が日本にはありますけど、これは表現こそ違えども、見ていることは事実なわけです。