地球の管理者は遠い昔から地球を見守ってきた

2022-09-08 記載
トピック:スピリチュアル: 歴史

ここでいう地球の管理者は基本的に衛星軌道上にいて、昔から分霊を地球にいわゆる「大師」として転生させたり大勢の天使やライトワーカーたちと繋がりながら地球の様々な面を文字通り管理しています。その管理者は、宇宙服とか宇宙船がなくてもその場にいられるような高次の存在です。肉体は持っていないものの、形はあります。

宇宙人だと言えばそうも言えますけど、そもそもこの世界は宇宙に存在していて、皆が宇宙人みたいなものでありますし、特別に宇宙人、という位置付けでいるわけではありません。

管理者はとある遠くの惑星にいましたが、時空を超えて地球という面白いおもちゃがあることを見つけ、時空を遡って、地球が岩だけの頃から現代に至るまでずっと目をかけていたのです。地球に小さな生命が生まれて、知的な生命体が生まれ、管理者と同じような姿をした人間という生命が生まれるように誘導したりしました。

そういう意味では、管理者というよりは、創設者(Founder)と言っても良いかもしれません。

管理者(あるいは創設者)以外にも、地球がまだ岩だらけだった頃に地球にやってきて、自分達を一番最初に地球にやってきた宇宙人だと自分で思っている宇宙人がぼちぼちいますけど、そのような宇宙人たちよりもずっと前から地球を見守っていて、実質、一番最初から地球を見守っていました。と、言いますか、多くの宇宙人、地球にやってきていた宇宙人は時空を超えられなかったりしますけど管理者は時空を超えられますので、見つけてから管理するときは時空丸ごと管理していますので、地球が生まれたくらいからの頃も含めて時空を丸ごと管理しているわけです。

その管理者は、当初、地球において別のタイムラインで理想的な社会を作ろうと試みていました。そのタイムラインには日本を中心とした太平洋沿岸の共栄圏があって、人々は飢えることもなく、衣食住に困らない生活をしていました。


■狭い社会で不自由ない暮らしをしていると勘違いすることがある

ただ、そのタイムラインにおける共栄圏で人々が安全に暮らしているかのように見える一方で、実は、管理者は、地球の住民が独善的になってきているのを嫌がっていました。その共栄圏ではお金がほとんど不要で、構造としては理想的で貧困もない社会が日本を中心とした太平洋沿岸では実現できていたのですけど、それ故に、人々が何もなさずとも正当化されて自己肯定するという罠にはまっていて、自分が何もしていなくても、あるいは、何をしたとしても自分は偉くて正しいと思い込むという、割と勘違いしている面倒な人が共栄圏に多く存在するようになってしまいました。衣食住に必要なものは社会秩序的にそれを分配するという分かち合いの社会にはなってはいたのですけど、地位や財産は生まれた家によって固定化されていました。地位や財産が一部に固定化されていたとしても皆は生きることには困らなかったわけですが、自分が成したことや言動によらずに、ただ単に生まれた家や生まれ持った地位に基づいて偉そうに振る舞ったり乱暴に振る舞ったりする人がそれなりに散見され、次第に、かなり増えてしまってる状態でした。社会構造としては理想的ではあっても、自分を律するものが何もなくなると人は勘違いをしてしまいがちのように思います。

少しずつ改善できれば良いのですが、衣食住が保障されているために生活に変化がなく、改善の余地が見られませんでした。

そこでは戦国時代さながらの「プライド」「誇り」が重視され、今の現代の価値観からすると面倒な人が多い社会だったと言えます。ですが、分かち合いシステムはそのプライドに支えられているという面もあって、プライドや誇りがあるからこそ衣食住の「分かち合いをする」というシステムが支えられているという面もあったのです。分かち合いをするというのは、分配する時に権威が中央に集中しますので、一旦集めて再分配するというシステムと誇りやプライドが相互に依存関係となり寄り添うことで社会が動いていたわけです。

今の社会でも、食糧の量としては足りているはずなのに一旦は中央に集めて再分配することで権威を集めるというシステムが各所にありますが、それが強力になったものがそのタイムラインにあったと言えます。

そのタイムラインでは「生きる」という面に関しては衣食住が国の制度で保障されていましたし、昔ながらの戦国時代さながらの土地所有制度が継承されておりましたので、基本的に土地は世襲で、相続税もなかったように思います。ですので、衣食住には困らない世界ではあるのですが、生きる上で制限がなくなると、人は、独善的になったりめんどくさくなってしまうようです。


■資本主義社会は、過分な「分かち合い社会」よりも良い面がある

管理者は、そのような勘違いが多い社会を嫌がっていたのです。

そこで、人々が、否応なく、自分自身の振る舞いを正すことができる社会を目指したのです。それが資本主義社会であり、「不足する社会」でした。

これは、そもそも今はその共栄圏のタイムラインとは社会構造がかなり違いますので今のこのタイムラインに生きている人にはこのことを理解するのがかなり困難なことかもしれなくて、例えば、今の社会であったとしても、例えば地方に行くと地域によっては生まれ持って権威があったりして独善的な地主がいたり、あるいはその土地の傲慢な有力者がいたりして迷惑な存在になっていますけど、そのように面倒な人が昔のタイムラインにはかなり多かったのです。

経済的に余裕があって制約がなくなると、人はあまり考えなくなってワンパターンな生き方になり、堕落し始める傾向にあったのです。

今のタイムラインにあるような、任意と言いつつもお金を稼ぐために半ば実質強制のような労働をする必要のない世界、そのような理想的な世界がかつて別のタイムラインにあったわけですけど、そのような理想的な社会においては、人々は自分が必要以上に大きな存在であるかのように勘違いして、特に精神的に乱暴に振る舞うことも多かったようなのです。もちろん親切な人や丁寧な振る舞いというものはありましたけど、昔のタイムラインの世界においては、管理者が嫌がるほどそのように自尊心が強すぎる人がかなり大勢になってしまったように思います。

今の社会では、生きるためにはそれなりに働かなくてはならなかったり、苦労もあったりしますけど、仕事をすることで自分のプライドが否応なく削られていって段々と良い人になれるという面もあって、人々のめんどくさいプライドという面が分解されて平穏な社会になるという効果もあるわけです。

人々は、どうしてお金がこんなにも足りないのかと不平不満をよく言っていますけど、管理者の視点からすれば、そのような「足りない社会」「仕事をしなくては生きられない社会」だからこそ人々は傲慢さを減らすことができて成長ができて、良い人になれるわけです。

元々、分かち合いの社会システムが人々に与えられるのがあまりにも時代が早すぎて、人々の成長とマッチしていなかった、とも言えるかもしれません。

世間ではよく、資本主義社会は支配する仕組みだとか、搾取の仕組みだとか色々と言われていますけど、実際のところ、前のタイムラインで分かち合いの社会があってそれほど不自由なく暮らしていたのに、そのような一見すると平和な環境で人々が堕落してしまったり成長せずに長い時を過ごしてしまっていたからこそ管理者がこれはいけないと思って人々を成長させる仕組みを作り出したのです。

世間を見ればわかるように、今のタイムラインの貧乏人は苦労はしますがその分、良い人になる余地が多分にあることがわかります。そのタイムラインにも一応は貧乏人というのはいましたけど衣食住は保証されていましたのでそれほど苦労はありませんでした。ですけど、苦労がない一方で、成長というものもあまりなかったわけです。

一方、お金持ちというものはこれまた苦労をしないために堕落しがちでした。補足ですけど、どこにでも高貴な人というのはいて、お金があったとしても堕落しない人というのはそれなりにいるわけです。ですけど、それなりの割合で堕落してしまい、これはよくない、と思ったようでした。


■地球の管理者は、不満があって前のタイムラインを破棄した

今の資本主義社会は管理者からすれば以前より良い社会になっています。

以前のタイムラインにいた独善的な人々に不満を持っていた管理者は、タイムラインを遡ってやり直すことにしました。表向きはヨーロッパ各地の強欲などこかの国が核戦争を始めて地球を破壊してしまう、というように誘導して、地球を支配したいエゴ丸出しの国王や首相が原因、ということにしました。地球を破壊してしまう経緯は以前にも書いた通りです。共栄圏は平和でしたが、それ以外の国は奴隷制度も残っていて、天国と地獄が二極化しており、しかも、共栄圏の国内では上記のような変な社会になってきていました。

共栄圏があったタイムラインにおける表向きの世界の歴史は、強欲な西洋各国の支配者が不満を持って核戦争を始めてヨーロッパ大陸や地球そのものを吹き飛ばしてしまう、という終わりを迎えています。何度タイムラインを遡ってやり直してみても回避できなかったわけですけど、タイムラインを遡ってやり直せるような存在、それはある意味、それなりの神の意識と言っても良いですけど、その神の意識ですら、それよりも上位の管理者(それは上位の神あるいは天使と言っても差し支えない存在ですけど)その更に上位にいる地球の管理者の意向の中にいて、普通の神々ですら、地球の管理者の手の平で動かされているわけです。

地球の管理者よりも少し下の階層に各国や地域を司っているような神様たちがいるのですけど、神様が何度もタイムラインを戻してやり直しても何度も核爆弾で地球が破壊されてしまうので諦めてもっと遡ってやり直したというのは以前に書いた通りですけど、神様とは言っても、地球の管理者の意図をそこまで理解していない時もあるのです。地球の管理者の方がより長い時間軸で物事を考えていると言えます。

普通、神様が時間軸を戻してやり直した場合、それが偶然に左右されるものであれば何度か試していれば核爆弾で地球が破壊されないようなタイムラインになってそれを正としてその後の世界を続ける、というのが普通なのですけど、20回とかやり直してことごとく核爆弾で地球が破壊されたり大陸が吹き飛ばされるというのは、それより上位の、このように地球の管理者の意図が入っているということなわけです。地球の管理者のOKが出なければ次の世界へとは進めないわけです。

その地球の管理者からすれば、割と良い方向に今のタイムラインは進んでいると判断しているようです。

管理者より下の神々あるいは中間の天使などは地球が核戦争で破壊されてしまわないかちょっとドキドキすることもありますけど、実のところ、地球が破壊されるのも、されずに継続されるのも、全ては地球の管理者によってコントロールされているのです。

「悪い存在が地球を破壊してしまう」という世界観は地球に住んでいる人間あるいは中間層の神々が思うことで、そのような中間的な視点あるいは一般の庶民の感覚としては悪い存在というものは確かにいるわけですけど、地球を支配していると思っているような欲望に満ちた人々ですら、その意志は実のところ管理者の手の中にあって、悪い人たちは地球にもちろんいて欲望のままに生きたりもしているわけですけど、欲望をどう使うかすらも、管理者の掌の中にあるわけです。

行動してしまう個人としてはそんなことは知らないわけですけど、地球に影響するような行動を首相や国王がするときは地球の管理者が裏で手引きをしている場合も多々あるわけです。勘違いして欲しくはないのですが、基本的に人間は自由意志がありますので文字通り、人は自分の好きなように基本的には生きています。それは首相や国王も同様ですけど、肝心な時に意志の介入が入って管理者の意図の元、それは本人はほとんど気がつかないことがほとんどですけど、まるで自分の意志かのように管理者の意図が実行されます。

必ずしも管理者の意志が働いているわけではなくて、基本は人々は自由に生きているわけです。違った見方をすると、存在として地球のこのタイムラインに居続けることができるということは、存在することが管理者から許可されているということでもあります。


■地球の管理者は大師やライトワーカーの元締め

ここで勘違いしてほしくはないのが、地球を破壊する、ということであったとしてもそれは悪ではないということです。そのような善悪のレベルを地球の管理者は超えているわけで、最終的に、それをも駒として使って地球全体のタイムラインを良い方向に導いていて、それはやり直しも含めてですけど、やり直しも含めてより良い方向へと導いているのが管理者な訳です。

管理者のことは信頼して良いですし、昔から言い伝えでいわれている「大師」とか、最近の言い方で言うと「ライトワーカー」みたいな人たちはその系統を辿るとこの管理者に行き着くことがほとんどです。

その、大師(というか管理者の分霊そのもの)やライトワーカーを束ねている大元の存在がいて、ざっくばらんに言ってしまえば神ということでもありますけど、一般に想像しているような神というよりは、高次の、それでもある種の「人格」もある存在です。人格と言っても普通の人間の意識の1000倍とかはある大きな魂、グループソウルと言っても良い大きな存在で、思考が様々な角度から同時にできるような存在でありますけど、そのような巨大な魂が地球を管理しています。

その管理者が、この現在のタイムラインはそこそこ良いのではないか、と思っています。

それは、以前のタイムラインでは人々があまりにも物事を単純化して1面から見たものを良しとして独善的になっていてそれは良くないと思っていた一方で、今回のこのタイムラインでは人々がより多面的に物事を捉えられるようになっていますし、人々のメンタルの成長の面でも著しいものがあって、以前のタイムラインがまるで子供のように思えるくらい今のタイムラインでは細かな多面性を人々が理解できるようになっておりますので、そのような人々の成長を管理者は喜んで見ています。管理者が喜んでいるということは、この現在のタイムラインが破棄される可能性はかなり少ないという訳です。

多くの人は、今の社会が資本主義社会で悪い人が支配しているとか色々と言ったりしていますけど、元々理想的な分かち合い社会があったのに、その理想的な社会でうまく成長できなかったが故に仕方なく今のような社会の制約を作り出して、そうしてようやく人々のメンタルが成長できている、という面があるわけです。

元々の理想的な社会で人々がきちんと成長できていれば今のタイムラインは不要だったということもできて、理想的な社会を人々が手に入れるのは少し早かったとも言えます。これから人々のメンタルが成長してきて、分かち合いの社会になっても堕落しないほどに成長できたのであれば分かち合いの社会が復活する可能性は多いにあります。


■人々が堕落しなければ分かち合いの社会の継続が許可される

これから次第に再度、分かち合いの社会が復活してきますが、その時に管理者が人々に期待することは、生活に何不自由なくなってきても堕落しないことです。物事を単純化して自分を過分に正当化することなく、複雑な現実をありのままに認識して自分の頭でしっかりと考えることが求められています。

このような生き方は管理者が押し付けることはできなくて、人が自分達の力で、自由意志の元にそれを選ぶことが期待されているわけです。

もしも人々が昔のタイムラインと同じように変な感じになったなら、また管理者は一旦どこかで大きく世界を変えるかあるいはリセットして少し前からやり直しをする必要があるかもしれません。ですけど、私が見たところ、おそらく今回のタイムラインはそれほど大きくやり直す必要がなくて、ぼちぼちうまく行っているように思われるのです。

そういう意味では今回のタイムラインでは地球が破壊されてしまう心配はあまりなくて、管理者がそれなりに満足した世界になってゆく可能性が半分以上あるわけです。

ですので、パッと見ると「人々が堕落しなければ分かち合いの社会が復活する」というように見えるかもしれませんけど、実際のところ、「分かち合いの社会がシステムとして構築されたときに人々が堕落しなければ管理者が継続を許可する」というのが正しいのです。

資本主義社会とか分かち合いシステムというのは社会の仕組みですから大きな意志が働かなければそれは構築できませんし、社会は複雑ですからそう簡単には変わりません。ですけど、管理者が意図すればそれは変えられるわけです。

システムを変えた時に人々が堕落しなければこのタイムラインで人々が人生を謳歌することが許されて、繁栄が継続します。

以前のタイムラインで人々が陥ったような堕落をしないことが、今回のタイムラインでは期待されているわけです。

そういう意味では、この日本は、人々がそれなりに豊かになったにも関わらずそこまで堕落していなくて、一部みっともない金持ちはいますけど外国によくいる人のようにお金を持ったら持っただけ贅沢をするという人は割合日本には少ないと言えて、いるにはいますしそこらじゅうにいますけど、程度としては日本は割と堕落は軽微だと言えて、そもそも堕落とはどういうことかを学ばないとそこからの回復もないわけで、学ぶという意味では必要な過程だったかなと思います。日本だって完璧ではないわけですけど、世界を見ればかなりマシな状況なわけです。

今後、日本が見本となって、豊かになって分かち合い社会になっても堕落しない社会を世界的に構築することが期待されていると言えます。

それと、この現在のタイムラインで今後人々が堕落しなければ共栄圏のタイムラインが復活して、人々が転生する先として共栄圏の飢えのない世界、衣食住が保証された世界を選べるようになるかもしれない可能性も示唆しておきます。