資本主義社会は、過分な「分かち合い社会」よりも良い面がある

2022-10-19
トピック:スピリチュアル: 歴史

(続き)

管理者は、そのような勘違いが多い社会を嫌がっていたのです。

そこで、人々が、否応なく、自分自身の振る舞いを正すことができる社会を目指したのです。それが資本主義社会であり、「不足する社会」でした。

これは、そもそも今はその大日本共栄圏のタイムラインとは社会構造がかなり違いますので今のこのタイムラインに生きている人にはこのことを理解するのがかなり困難なことかもしれなくて、例えば、今の社会であったとしても、例えば地方に行くと地域によっては生まれ持って権威があったりして独善的な地主がいたり、あるいはその土地の傲慢な有力者がいたりして迷惑な存在になっていますけど、そのように面倒な人が昔のタイムラインにはかなり多かったのです。

経済的に余裕があって制約がなくなると、人はあまり考えなくなってワンパターンな生き方になり、堕落し始める傾向にあったのです。

今のタイムラインにあるような、任意と言いつつもお金を稼ぐために半ば実質強制のような労働をする必要のない世界、そのような理想的な世界がかつて別のタイムラインにあったわけですけど、そのような理想的な社会においては、人々は自分が必要以上に大きな存在であるかのように勘違いして、特に精神的に乱暴に振る舞うことも多かったようなのです。もちろん親切な人や丁寧な振る舞いというものはありましたけど、昔のタイムラインの世界においては、管理者が嫌がるほどそのように自尊心が強すぎる人がかなり大勢になってしまったように思います。

今の社会では、生きるためにはそれなりに働かなくてはならなかったり、苦労もあったりしますけど、仕事をすることで自分のプライドが否応なく削られていって段々と良い人になれるという面もあって、人々のめんどくさいプライドという面が分解されて平穏な社会になるという効果もあるわけです。

人々は、どうしてお金がこんなにも足りないのかと不平不満をよく言っていますけど、管理者の視点からすれば、そのような「足りない社会」「仕事をしなくては生きられない社会」だからこそ人々は傲慢さを減らすことができて成長ができて、良い人になれるわけです。

元々、分かち合いの社会システムが人々に与えられるのがあまりにも時代が早すぎて、人々の成長とマッチしていなかった、とも言えるかもしれません。

世間ではよく、資本主義社会は支配する仕組みだとか、搾取の仕組みだとか色々と言われていますけど、実際のところ、前のタイムラインで分かち合いの社会があってそれほど不自由なく暮らしていたのに、そのような一見すると平和な環境で人々が堕落してしまったり成長せずに長い時を過ごしてしまっていたからこそ管理者がこれはいけないと思って人々を成長させる仕組みを作り出したのです。

世間を見ればわかるように、今のタイムラインの貧乏人は苦労はしますがその分、良い人になる余地が多分にあることがわかります。そのタイムラインにも一応は貧乏人というのはいましたけど衣食住は保証されていましたのでそれほど苦労はありませんでした。ですけど、苦労がない一方で、成長というものもあまりなかったわけです。

一方、お金持ちというものはこれまた苦労をしないために堕落しがちでした。補足ですけど、どこにでも高貴な人というのはいて、お金があったとしても堕落しない人というのはそれなりにいるわけです。ですけど、それなりの割合で堕落してしまい、これはよくない、と思ったようでした。

(続きます)