狭い社会で不自由ない暮らしをしていると勘違いすることがある

2022-10-18
トピック:スピリチュアル: 歴史

(続き)

ただ、そのタイムラインにおける共栄圏で人々が安全に暮らしているかのように見える一方で、実は、管理者は、地球の住民が独善的になってきているのを嫌がっていました。その共栄圏ではお金がほとんど不要で、構造としては理想的で貧困もない社会が日本を中心とした太平洋沿岸では実現できていたのですけど、それ故に、人々が何もなさずとも正当化されて自己肯定するという罠にはまっていて、自分が何もしていなくても、あるいは、何をしたとしても自分は偉くて正しいと思い込むという、割と勘違いしている面倒な人が共栄圏に多く存在するようになってしまいました。衣食住に必要なものは社会秩序的にそれを分配するという分かち合いの社会にはなってはいたのですけど、地位や財産は生まれた家によって固定化されていました。地位や財産が一部に固定化されていたとしても皆は生きることには困らなかったわけですが、自分が成したことや言動によらずに、ただ単に生まれた家や生まれ持った地位に基づいて偉そうに振る舞ったり乱暴に振る舞ったりする人がそれなりに散見され、次第に、かなり増えてしまってる状態でした。社会構造としては理想的ではあっても、自分を律するものが何もなくなると人は勘違いをしてしまいがちのように思います。

少しずつ改善できれば良いのですが、衣食住が保障されているために生活に変化がなく、改善の余地が見られませんでした。

そこでは戦国時代さながらの「プライド」「誇り」が重視され、今の現代の価値観からすると面倒な人が多い社会だったと言えます。ですが、分かち合いシステムはそのプライドに支えられているという面もあって、プライドや誇りがあるからこそ衣食住の「分かち合いをする」というシステムが支えられているという面もあったのです。分かち合いをするというのは、分配する時に権威が中央に集中しますので、一旦集めて再分配するというシステムと誇りやプライドが相互に依存関係となり寄り添うことで社会が動いていたわけです。

今の社会でも、食糧の量としては足りているはずなのに一旦は中央に集めて再分配することで権威を集めるというシステムが各所にありますが、それが強力になったものがそのタイムラインにあったと言えます。

そのタイムラインでは「生きる」という面に関しては衣食住が国の制度で保障されていましたし、昔ながらの戦国時代さながらの土地所有制度が継承されておりましたので、基本的に土地は世襲で、相続税もなかったように思います。ですので、衣食住には困らない世界ではあるのですが、生きる上で制限がなくなると、人は、独善的になったりめんどくさくなってしまうようです。

(続きます)