自分は安全だという経験あるいは知識が拒否反応を止める


(続き)

その上で、更に、トラウマの克服には、ある種の「訓練」あるいは「慣れ」が必要のようにも思うのです。この種の「(過去のオーラの)味わい尽くし」は、経験にもよるように思います。

・記憶やオーラを拒否しなくても大丈夫で自分は安全だという経験

トラウマはある種の危険察知にも使われていて、実際、予兆など未来の出来事に対してはトラウマや「違和感」は特に自然界では重要で、これがないと生存率が下がるほど重要のように思います。

ですけど、それは時と場合によるわけで、必ずしもトラウマのようなものに頼らなくても、安全は確保できるわけです。

そうして人生の経験が積み重なってくると、トラウマのように反応的なところから一歩進んで、自分は安全だという基礎あるいは経験が積み上がって来ます。

流派によってはこの「安全」という原則を理屈で積み上げます。例えば、インドのヴェーダの伝統では「自分(アートマンあるいはハイヤーセルフ)というものは永遠で満ちていて無くなることがない」と言われていて、その理解は絶対安全の境地に至らしめます。それがありすぎたり間違った理解をしているとインドの文化のように自分勝手で自分が最高で自分は絶対に正しいという自分勝手な生き方にも繋がってしまいますけど、正しく理解することでこの「安全」というものはきちんと確立できます。絶対安全なのはエゴ(自我)ではなくてアートマンの方なのですけど、よくわかっていない人はエゴの方が絶対安全だと思い込んで自分の生き方を正当化して自分は絶対に正しいと思い込みますけど、実際にはアートマンの方だけが不可侵なわけです。

そのように、アートマン(あるいはハイヤーセルフ)としての自分は安全だという認識が高まってくるにつれて、エゴが不意に拒否反応を示すことが減ってくるわけです。

これはあくまでも説明のためだけのもので、実際には、「ただ味わい尽くされる」という状態だけが起こるとも言えて、その時にアートマンがどうのこうのなんて考えたりしなくて、分解して説明すると上記のような基礎があって、それ故に、自分は安全なので拒否反応をする必要がなくなる、ということです。

流派によってはこれを「知識(による理解)」というかもしれませんけど、割とこれは経験で自分が安全だという状態に慣れてゆくもののように個人的には思います。

もちろん住居の環境にもよりますから、いくら知識で安全と思い込んでも実際は危険な住環境や人付き合いというものもあるでしょう。一方、安全な環境に長らく暮らしていると、やがて、経験として自分は安全だということが分かってくる、言い換えれば、安全だということが経験されて、安全という経験が積み重なってきて基礎となるのです。

そのように、安全な環境にしばらく留まることが、拒否反応を止めること、言い換えればトラウマの克服には重要のように思います。それは時に数十年という単位で起こることで、完全な克服にはそのくらいはかかるように思います。