記憶と共にあったオーラが分解され、ハイヤーセルフの愛だけになる


(続き)

それは言い換えれば「受け入れ」でもあり、「癒し」でもあります。もしかしたら「手放し」とでも言えるかもしれませんけど、結果として手放ししているように見えるかもしれませんけど実際は何も手放していませんので言葉としては「手放し」はそこまで適切ではなくて、単に味わい尽くされてオーラが分解されて消費されてゆく過程だと思うのです。

「癒されて」、という言い方も語弊があるかもしれなくて、別に、何も癒されてはいないと言えばそうで、結果として癒されているように見えるかもしれませんけど、この種のオーラの味わいはハイヤーセルフ(あるいはアナハタの愛)の意識を基礎としていますから、基本として愛と感謝の気持ちが湧き上がっていることを前提としていて、その上で、拒否反応がなくなって、こうした「味わい尽くし」が起こるわけです。記憶とオーラが不意に奥底から湧き上がってきて当時の記憶とオーラが再現された時に拒否反応がなかったとしたら、その時に起こるのは、当時のオーラが感じられるだけになる、ということです。

それはハイヤーセルフの愛と感謝を基礎としていて、再現された浮かび上がってきたオーラが割とすぐに分解されて不意に清浄の静寂な意識に戻るわけです。

ただオーラを味わい尽くすだけで記憶が浄化される、と比喩的にいうこともできるかもしれません。こうして、瞑想をする度に過去の記憶とオーラが蘇り、当時のオーラが再現され、そのオーラを味わい尽くして感じているうちに、そのオーラの体験は不意に終わってハイヤーセルフの愛だけの状態に戻るわけです。

それは、いくつかの基礎を基にしているように思います。

静寂の境地
ハイヤーセルフの愛

これは、大乗仏教的に言えば「空性と慈悲との統一」と言えるかもしれません。

大乗仏教の教えにおいても、その実践においても、空性と大いなる慈悲との統一こそが、最高に重要な原理だと考えられている。それは大乗の教理のまさに真髄である。「虹と水晶(ナムカイ ノルブ 著)」

静寂の境地と感謝との合一とも言えるかもしれません。

(続きます)