思考の流れと認知の間に広い空間ができる

2022-10-07
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

認知、あるいは意識、と言っても良いのですけど、思考と認知(あるいは意識)の間に独立性が保たれるようになってきたように思います。

そしてそれは、サハスララにエネルギーが満ちている時に、そうなるようにも思います。

意識とは満ちているものだ、とはヨーガやヴェーダンタでは説明されますけど、その、満ちている意識が認知することと、思考との間に空間ができたような感じになります。

満ちているのに空間ができるとは、一体どういうことでしょうか・・・ と思われるかもしれませんけど、空間と言っているのは物理的な空間ではなくて、認知のない場所、思考のない場所、ぽっかりと空いていて認知とも思考とも離れた空間が「思考」と「認知」の「間」に存在していて、それは何と言っていたら良いのか、良い表現がなかなか思い浮かばないのですけど、とりあえず空間と言えば空間とも言えるかな、という程度のものなのです。

ですから、「隙間」と表現しても良いのですけど、思考と認知の間に「隙間」ができて、その隙間あるいは空間とでも言えるところがある故に思考と認知とが独立していられるのです。

これは、サハスララにエネルギーが満ちるまでは、割とくっついていたように思います。
かなり昔はもっとくっついていて、思考と認知の間に区別ができなかったように思います。

ヨーガでは思考と認知(あるいは意識)とを区別しますけど、それは単なる理屈ではなくて、実際にそのように変化するものだと思います。

そのように、思考と認知(あるいは意識)が離れてきますと思考に対して認知(あるいは意識)が自由になって、人生のさまざまな出来事に悩まされにくくなるように思います。

おそらくは人によっては最初からそれなりに思考と認知が離れていてクリアな思考ができるのかなと思いますし、あるいは、そうではない場合もあるかと思います。それはスピリチュアルな階梯におそらくはそのまま対応していて、思考と認知がくっついていると苦悩の人生になって、離れていると楽で楽しい人生になりやすいのかなと思います。

思考と認知(あるいは意識)が離れることとサハスララにエネルギーが上がることは対応していると思われて、その状態になると思考の流れと認知の間に広い空間ができて、思考が自由に動いていて、それでいて認知を行う意識の方はその後ろの方で見ている状態になります。これは理屈から言ってもその通りでありますし、程度問題でもあるのですけど、その「間の空間」がしっかりと確保された、というのがサハスララにまで上がった違いになります。