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ひねくれている人を理解したい、という前世からの衝動


私の(グループソウル経由の)過去の記憶によると、これまで何世にも渡って私が疑問だったのが「どうして、特に貧乏人の一部の人はこうも認知がひねくれているのだろうか」と言う点でした。これは当時、私のグループソウルの分霊が住んでいた場所、ヨーロッパが多かったかと思いますが、その場所で貧乏人の多くがひねくれていた、と言うことです。今世でどうこう、と言うことではありませんけど、似た面はあるかと思います。

今回の人生の前までは、そのほぼ全てにおいて、おそらくはそれぞれの人生において生まれた時のスピリチュアルな状態が「今くらい」だったかなぁ、と自覚しています。と、言うことは、(特に貧乏人の)一般人が雑念に悩まされていたり認知が歪んでしまったり、エゴが拡大して自己肯定のループに入ってしまったり、と言うような症状は、今世の前までは、私(のグループソウル全体)は全く理解できなかったわけです。何故なら、そう言う経験がまるでなかったからです。

今世の目的としてはカルマの解消と悟りへの階梯を確かめることの2つが主なものとしてあるわけですけど、そのために、自分自身をどん底の環境に叩き落として一般人の階梯から上がってくる階梯を一つ一つ理解するように努めました。・・・とは言いましても、今世の私としてはただ単に自分の人生を生きているだけですけど、グループソウルが私を分霊として作り出して送り出した意図としては、スピリチュアル階梯が下層の人がどうしてこうもひねくれているのかを理解したい、という意図もあったようです。

それ故に、本来ならば単に捨ててしまったり浄化するだけで済ませていた未浄化のオーラをわざわざ残して実体化させ、分霊として地上に送り出したようです。元々、私の魂というのは火の儀式で浄化されて無に返す筈だった不浄なオーラの集まりだったわけですけど、ふと、儀式を行なっているとある存在がオーラの中に意識の目覚めのようなものを感じ取って儀式をやめたのでした。そして、そのオーラだけではあまりにも光が足りないので、とある存在が自分のオーラを加えることで私という分霊の元となったのでした。そうして、普段行わないようなことをしたので他の存在たちは驚いていたのですけど、こうして、火の儀式のために汚れた未浄化のオーラを分離させたものと、意識の目覚めのためにオーラを追加で分けてもらったものが私の魂の原型になっているわけです。


ひねくれている人たちは認知が歪んでいる


貧乏人を理解するためにそれほどお金のない家庭に生まれて、家族にしても認知がひねくれている両親や兄弟および親戚の元に生まれました。そうして、どうして貧乏人の認知が歪んでいてひねくれているのかを学ぼうとしたわけです。

最初はよくわからず、葛藤だけが膨らんで、自分も同調してしまったりもしましたけど、「本当の私」はそうではない、ということはわかっていました。

そうして、その後、家族や親戚からも離れて、思い返したり他の場所で色々と学んだ結果、ようやく腑に落ちたのが、そういうことでした。

それまでは、理屈では納得できると言えば一応できましたし、なんとなくはわかっていたわけですけど、どうも、腑に落ちなかったわけです。

ですけど、今世を生きてみて、ようやく腑に落ちました。

ひねくれている人は、エゴが拡大化していて、自己肯定のループに陥っているが故に認知が歪んでいるのです。そう言う、割と単純なお話でした。

そのために、今から思えばつまらない人たちとも付き合ったり趣味を真似たりしてみましたけど、結局、根本を辿ると、そんな単純なお話でしかなかったわけです。エゴが拡大化しているために色々とものやネタを探して他者と区別化するという自己肯定のループにはまり込んでいて、エゴというものは常に満足し続けないと気が済みませんから、一つのネタが終わったら次のネタ、あるいは時に拡大解釈したり認知を歪めて更にエゴが自己肯定できるところを探し続けているわけです。

わかってしまえば、なんてつまらないお話なんだろうか、と思います。ですけど、そうして自己を他者と比較してアピールしている人たちにとってみればおそらくは一大事で、色々と「違い」を出して他者との差別化を図ろうとしていますけど、そう言うもの全てがつまらない衝動に根ざしていたわけです。

「理解」と言う意味では、長年の疑問が解けたので良かったわけですけど、そこで得たものといえば、「なんだ、そんなことか・・・」と言う、その程度のものだったわけです。見た目で他者と区別したり、言動で他者と区別したり、ドヤったり、なんてくだらなくてつまらないのだろうかと私は思うのですけど、エゴの拡大ループにはまっている人にとってはそれこそが重要で一大事であるわけです。

スピリチュアル的にみれば何も否定するものはなくて、人生の目的は色々ですので、自分が求めるものに自分はなるわけで、どのような人生を送ろうがそれはそれで個人の自由ではあります。ですけど、認知を歪めたりエゴが拡大するために時間を使うような人生はつまらない、と個人的には思います。これは個人的な意見でありますので、他者は好きにすれば良いと思いますけど、目的があるのにも関わらずエゴの自己肯定ループにはまって本来の目的を果たせないというように、エゴが目的の障害になっているのであればその障害は取り除くべきかなとは思います。私が見たところ、エゴの拡大それ自体が目的で人生を生きようと思っている人はほとんどいなくて、ほとんどの場合、エゴの拡大ループにはまってしまっていて、それがあたかも人生の目的かのように誤認しているだけの場合が多いようにも思いますけど、どうでしょうかね。本人に自覚は全くないかもしれませんけど。



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