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雑念を無くしたいと思うなら、そうすれば良い

2022-09-14
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

であれば、顕教や密教で与えられているような修行方法は、必要に応じて、部分的に行えば良いと思うのです。お寺で一時的に受け入れてくれる修行や、瞑想のコースなど多々あるでしょうし、ヨーガのコースでもいいと思います。特に社会人であれば時折そういうのを受けると良いと思います。

その際、あくまでも、最終的な状態としてはサマーディ(三昧)であり、そこでは雑念はなくす必要もないし変容させる必要もない、ということを踏まえながら、それでも、相対的なレベルにおいてはそういう修行もある、ということです。

ですから、相対的な段階において、まだサマーディ(三昧)に至っていないのであれば、顕教のように雑念を避ける修行というものも時に必要で有益になるでしょうし、はたまた、密教のように雑念をイメージ等で御本尊等に変容させるという手法も有用でしょう。そのように、相対的な段階においては各種の、先人たちが残した手法を使えば良いのです。

これはあくまでも途中の段階だと意識した上で、相対的な段階を踏めば良いのです。

ですから、雑念は無くすべきかどうか、という質問に対しての答えとしては、そうしたければすれば良い、ということになります。そうすべきかどうかはご本人がやってみて、それでうまくいけばそうすれば良いし、もはや雑念に影響されないと思えばしなくてもいい、と、それだけのお話なのです。

どちらにせよ、サマーディ(三昧)に至れば雑念には影響されなくなりますけど、途中の過程では色々なことがあって良いのです。

様々な流派や考え方に触れることによって、実に多様な教えをもらうかもしれません。顕教の教え、密教の教え、あるいは、異なる教えなど様々なお話を聞いて、混乱するかもしれません。時に「しっかり理解するだけで修行など不要」と言われたりするかもしれなくて、勉強さえしていればいいのか、などと思って納得するかもしれませんし、あるいは、本当にそうなのだろうか、と疑問に思ったり、あるいは、疑心暗鬼に陥るかもしれません。そのように、スピリチュアルには色々なことを言ってくる人がいて、それらが他の人と矛盾していることもあって、よくわからないこともあります。

ですけど、それでもいいと思うのです。そうして、真実が何かを自分で判断して見極めて探求していくことこそが大切だと思いますし、他人から言われたことを全て鵜呑みにしていたらこの種のスピリチュアルはなかなか成長できないと思います。

自分の目でしっかりと見て見極める、というのはスピリチュアルにせよ仕事にせよ、勉強にせよ、全ての基本になるのかなと思います。

そのうち、それらの全てにそれぞれ真実があることがわかってきます。何も無駄なことはないわけです。



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