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識無辺処定が神様の領域の始まり

2022-09-05
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

このような階梯を改めて見てみると、私は今までテーラワーダ仏教風の解釈をしていて非想非非想処定も多少は達成しつつあるのかなという気にもなったこともありましたが、本山博先生の会社に基づくと、私はまだ識無辺処定を成したくらいで無所有処定はこれから、という気も致しますね。ただ、説明を読みますと心の動きが止まって・・・ ということですから、私は瞑想をしているとあっという間に1時間とか2時間とか経っていることがありますから、もしかしたら無所有処定も少しづつ達成できているのかもしれませんけど。

又、識無辺処定は割とサハスララにオーラが集まった時にそのような状態になりやすいようにも思います。だとすれば無所有処定はそこまでできているわけではないような気も致しますが。

このあたりの注意として、以下のようなものがあります。

そういうふうになって無念無相になったからと言って、物理的次元やアストラル次元、さらにはカーラナ次元での欲望、執着が残っている限りは、今ここで言っているようなところには決して達しないのです。また、神様と1つにはなれないのです(同書より)

この段階での神様との(一時的な)合一は何かが見えるとか聞こえたりということはなくて、そういう見えたり聞こえたりというのは色界四禅での経験とのことです。また、色界では体があるので「外に出る」ということが必要でアストラル体とかカーラナ体で外に出たりするけれども、この段階になるとプルシャとの一体であるので、自分も外も一体となっているので外に出る必要はない、とのことです。

そうなってきますと、識無辺処定およびそれが安定してきた無所有処定が神様(個としてのプルシャ)との合一との始まり、と言えるかもしれません。

(続きます)



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