本山博先生の解釈に基づく禅定(同テーマ&時系列の前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)識無辺処定が神様の領域の始まり

4つの無色界禅定

2022-09-04
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

次に、同書における4つの無色界禅定(の概要)は以下のようになります。

まず、四無色定はカーラナ以上、ヨーガで言うプルシャ以上に相当するとのことです。

仏教では無色界の禅定を「物質を超えた」としておりますが、本山博先生の分類ではカーラナはまだ物質ということで、体があるとのことです。ただし、色界に相当するアストラル界は物質の力が強く、カーラナになると物質とはいえ物質の力はかなり弱くなって精神の力の方が強くなる、という違いがあるそうです。

そのような、まだカーラナの世界で物質の体は持っているものの精神の力の方が強くなったのが無色界に相当し、その無色界を前提とした禅定が四無色定(4つの無色界の禅定)ということだと思います。これは本山博先生の解釈であって仏教の解釈とは異なるところですが、私にはこちらの説明の方が腑に落ちます。


■空無辺処定
心が世界は空であると想うことによって世界は空となったが、世界は空であると想う心は無くなっていない状態。(同書より抜粋)

仏教の世界観として「思いによって物質ができる」という前提があり、その世界観がこの階梯の説明に根強く反映されている、とのことです。本来、物質は物質として独立して存在しているわけで、唯心的な考え方に基づいて、心があるから物質が存在するとしているからこのような階梯になる、とのこと。

説明を読むと、どうやらそのように捉えるよりも、ただ単に、「物のない世界に入っていった、つまり物の力を超えたところに心が達した、一種のプルシャの状態になった」(同書より)と解釈する方が素直に見えます。それは割と一時的なものではあっても、この段階に相当するわけです。言い換えれば「一時的に空を直接的に知覚した段階」と言っても良いと思います。

■識無辺処定
本当の意味での無念無想、識とか想というものがすべてその動きを止めた状態。(同書より)

前の段階であれこれ「想う心」そのものの動きがなくなった状態、とのことです。

■無所有処定
心の動きが数十分、数時間と続く状態。(同書より)

■非想非非想処定
プルシャの次元において識別をする。(同書より)

(続きます)



本山博先生の解釈に基づく禅定(同テーマ&時系列の前記事)
(同テーマ&時系列の次記事)識無辺処定が神様の領域の始まり