十牛図の入鄽垂手で奉仕に至る

2022-08-13
トピック:スピリチュアル: 十牛図

(続き)

十牛図の最後である入鄽垂手は人々を助ける奉仕を行うことです。これは私の解釈も一般的な解釈と基本はそう違わなくて、そのまま読めば良いと思います。ですから、ある種の悟りに至ったならば人々に奉仕をするわけです。

そこに至る階梯も明確です。

第6図 騎牛帰家 静寂の境地
第7図 忘牛存人 ワンネスの始まり
第8図 人牛倶忘 「個」を主体とした視点からワンネスを感じる、ワンネスを受け取る段階
第9図 返本還源 「全体」を主体とした視点として、ワンネスとしての認知が生まれる。ワンネスの側からの働きかけ、認知の始まり。
第10図 入鄽垂手 全体を主体としたワンネスの立場から奉仕する

第8図の人牛倶忘は通説の解説によると(禅的な)悟りを開くという段階に相当していて、表現としてはワンネスということにはなっていますけどまだ個人を主体としているワンネスなわけです。時折「全体」を垣間見ることができる段階です。

通説では8つ目の人牛倶忘が悟りで9つ目の返本還源から先は帰り道ということですけど人牛倶忘が終着地点のはずはないと私は思っていて、私は第9も第10も帰り道だとは思わなくて全て一本道で意識は広がってゆくと思っていますし、それが実感と一致しています。

第8の人牛倶忘にもバージョンがいくつかありますので解釈のしようによっては第8によって完全なるワンネスに達しているという読み方もできなくもなくて、第8が完全なるワンネスだとしたら第9と第10が帰り道の余談でしかないという解説は一応は筋が通っていると言えばそうなのではありますけど、解釈を読む限り、第8が完全なるワンネスだとは思えないのです。

第8では「円」あるいは「白背景」の図になっていて、それはまだ「全体」としての認知が生まれていないのです。

第9でようやく「全体」としての認知が生まれます。そして、それはワンネスの境地が熟成されて高まってきた状態なのです。決して、第9の返本還源は「帰り道」などではなくて、階梯の重要な一歩だと思うのです。このことが解説書に出てこないということは、この返本還源に至った人が少ない、ということなのでしょうか。

第9の返本還源でワンネスが完成して認知が生まれ、少しづつ高まります。そこはワンネスの世界ですから、善悪も含めて全てが含まれています。ワンネスとしての認知とは、善悪を超越するということでもあります。

第10の入鄽垂手においては、ワンネスの立場から奉仕が始まります。全ては「わたし(セルフ)」であるのですから、「わたし」が「わたし」に奉仕する際に、何の躊躇がありましょう。それは自然な形で行われます。入鄽垂手は決して「帰り道」などではなく、ワンネスが高まった故の到達点としての奉仕であると言えます。

(図は「参禅入門(大森 曹玄 著)」より引用)