スピリチュアルな奉仕活動(同テーマ&時系列の前記事)

自分が奉仕しても良いという許可を自分の内面から与えられる

2022-08-07
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

どちらにせよ、スピリチュアルにおける奉仕というものは行動とはそこまで関係がなくて、瞑想やサマーディ(三昧)の高まりによって「目覚めて」くるものです。目覚めてくるものですから、今までどれだけ多くの奉仕活動をしていたかどうかとはそこまで関係がなくて、むしろ、たくさんの活動をしてプライドが高まったことにより目覚めの妨げになってしまうことすらあるわけです。であればそのようなプライドを高める活動などしない方が良い場合もあるわけですけど、目覚めというものは活動とは割と無関係にやってきますから、奉仕団体の巧みな口車に乗せられて活動に奉仕する必要はあまりないわけです。無理のない範囲で手伝うくらいはいいかなとは思いますけど。

奉仕の気持ち、というものはスピリチュアルの階梯において割と後の方で、自分の愛に目覚めて感謝の気持ちを感じられるようになり、ワンネスの段階に入ってようやく奉仕、という順番なわけです。自分の愛に目覚めるまでは自分のことしか目に入らなくて自分だけのことしか考えられないですけど最初はそれでよくて、むしろ、最初から他人のことを考えてしまうとスピリチュアルな成長の妨げになってしまったりもするわけです。と言いますのは、「自分はこれだけ奉仕した。自分はこれだけやっている」というエゴが高まってしまいますから、最初のうちは気をつける必要があるわけです。最初のうちは、環境さえ許せば自分からは奉仕せずに、自分のことだけ(瞑想などを)していればいいと思います。自分のことだけしていれば良い人は恵まれていると思います。

そうして自分のことに決着が着くと愛に目覚めて感謝の気持ちが湧き出てくるわけですけど、ここでようやく奉仕の気持ちがほんのちょっとだけ出てくるわけです。ですけど、まだほんの少しでしかないわけです。

その後、愛の気持ちと感謝の気持ち、それはワンネスと言っても良いですけどその状態が普通になって安定してくると、次第に奉仕の気持ちが目覚めてきます。そうしたら、奉仕をしてもいいわけです。奉仕をしてもいい、という、スピリチュアル的な許可が降りるわけです。それ以前にもやりたければ奉仕をもちろんしてもいいわけですけど、それ以前はスピリチュアル的な許可というよりは、義務だったり習慣だったり道徳あるいは他人からの説得によるものだったりするわけです。

ですけど、そのような、外からの働きかけとは無縁に自分の内面からの奉仕の衝動というものは存在してて、スピリチュアルに目覚めていないとその衝動というものは自尊心(プライド)だったり影響力を高めるための手段だったりするわけですけど、スピリチュアルに目覚めた後に出てくる内なる奉仕の活動というものは愛と感謝及びワンネスに根ざしたものであるわけで、そのような段階になってようやくスピリチュアルな奉仕というものに目覚めるわけです。



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