奉仕の気持ちが高まってくる(同テーマ&時系列の前記事)

スピリチュアルな奉仕活動

2022-08-06
トピック:スピリチュアル: 瞑想録

(続き)

結局、物理的に何を助けたとしても、それは短期的には助けになったとしても、長期的には相手の人のためにならないのです、ということな訳で、長期的な物理的な助けというものもあるでしょうけど、それよりは、最も大切なのは精神的な助けであり、スピリチュアルな導きなのかなと思います。

ですから、私の若い頃は分かりやすい奉仕活動とか社会活動に興味を持っていましたけど、そういうものも人間社会においては大切ではありますけど、そのような活動はスピリチュアルな奉仕という基盤を持って初めて物理的な活動が意味を持ってくるのだと思います。

若い頃に知り合った人たちは唯物論者も多くて、「気持ちとか情緒などは不要でエクセルが世界を救う」とか、スピリチュアルを馬鹿にしている人も大勢いて、奉仕というものが単なる機械活動でしかないと思っている人も意外にも大勢いらっしゃいました。一方で、気持ちの面から入っている人も大勢いて、その両者が分離していたように思います。

今わかることは、スピリチュアルのない奉仕活動はほとんど意味がなくて、あるように見えたとしても他人の威光を借りているだけだ、ということ。偽の光とも言うもので、他者の労力を使って自分の権威を高めるために活動している人も業界には大勢いて、むしろそちらの方が大勢を占めていました。国連の援助というのも先日書きましたように本来は満ち足りている世界にあえて不足という状況を作り出した上で援助をすることで権威を集めてコントロールしやすくする、という構図がありました。身近な環境活動やNGO、NPO活動はその縮図で、身近なところでも何がしかの奉仕活動をしてリーダーや団体に権威を集めて人をコントロールしやすくする、という構図があったわけで、そこでうまく駒になれた方が国連などに行って大きく権威を集めて活動する、という、大きな場で活躍するための小さな練習場、みたいな立ち位置があったわけです。そうして、何も知らない一般人がやりがい搾取された上で捨てられる構図があって、一般参加者は様々で中には立派な人がいたとしても、団体の中心というものは権威を集めて人々をコントロールするという図式があるわけです。別に、これが悪いとは言ってはいなくて、世界とはこのようなものである、ということです。

そして、そのような、権威を集めるための奉仕団体、というものがある一方で、単に奉仕の気持ち、というものがあるわけです。奉仕の気持ち、というものは必ずしも行動とは結びついてはいなくて、必ずしも行動によって計られるものでもないわけです。

偽の光の権威団体にしても倫理や理屈を勉強していますから同じようなことは言えて、でも、同じようなことを言ったとしても、本当にわかっているかどうかは別問題で、本物かどうかを見抜くには、見る側の見る目が必要になってくるわけです。

(続きます)



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