大日本共栄圏における日本列島(同テーマ&時系列の前記事)

アメリカンインディアンの次期酋長を信長が呼んだお話

2022-06-24
トピック:スピリチュアル: 歴史

(続き)

話は少し変わりまして、別のタイムラインの大日本共栄圏において織田信長がアメリカンインディアンの次期酋長になる若者を1年間日本に呼んで交流したお話をしたいと思います。

そのタイムラインにおいてアメリカ西海岸への日本人の移住が進んでくると、アメリカンインディアンとの共生をどうするか、というお話が浮上してきました。最初のうちは人数も少なく、特に問題なく沿岸部に共生できていたわけですけど、今後、日本の一部として共栄圏に参加するかどうかでアメリカンインディアンの部族で選択があったわけです。

実のところ、織田信長がアメリカ西海岸に進出した時、同時期にローマ教皇とも手紙のやり取りがあって、その中で、うまいこと言いくるめて織田信長がアメリカ西海岸、特にグランドキャニオンより西側の統治をローマ教皇に認めさせた、ということがその少し前にありました。

しかし、ローマ教皇も事情がよくわかっていなくて、織田信長は手紙の中で、あたかもそれより以前からアメリカ西海岸は日本が管理しているかの如く書いて言いくるめたために、実際の状況を知ったローマ教皇が怒って「一体これはどういうことだ。お主たちはアメリカ西海岸に行ったばかりではないか」と、不仲の関係になってしまいます。ですけど、それ以前に、織田信長の頼みによりアメリカ東海岸および西洋諸国に対してローマ教皇の名前で「アメリカ西海岸は日本が統治しているのでその領域を侵害しないように」というようなおふれを出してもらっていたものですから各国には既に日本がアメリカ西海岸を管理しているという既成事実が広まっていました。

そのようなローマ教皇との不仲の状況の中、実際にアメリカ西海岸を確実に管理下に収めようと計画し、その一環でとあるアメリカンインディアン部族の若い次期酋長を日本に呼ぶことにしたのです。既にアメリカ東海岸は白人が管理しており、まだアパラチア山脈を超えて西海岸にそれほど白人が来ていない状況ではありましたが、これ以上、白人が侵略してこないよう、体制を盤石にしておく必要がありました。

そのためにはアメリカンインディアンの部族を説得して日本の共栄圏に平和理に加入してもらうのが良くて、アメリカに遠く離れていてはお互いの理解も進まないので、若い次期酋長に来てもらうことでその後の、他の部族に対する説明や説得もしやすいと考えたのです。

(続きます)



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