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大日本共栄圏での大統領システム

2022-06-20
トピック:スピリチュアル: 歴史

(続き)

そのタイムラインの大統領システムは今のアメリカの大統領システムとはかなり異なっていました。

まず、立候補できるのは元々は藩主のみでした。その後、太平洋沿岸の国々が共栄圏に参加するようになってからはその国の元々の代表、元々国王だったり元々元首のような立場だった人が立候補できるようになりました。

その時、今の政治システムと大きく変わっているのは、まず最初に「約束」の書類を作って、その書類に対して皆が投票し、その実行者としての大統領が選出されるという位置付けになっていました。

今のこのタイムラインの政治システムは皆がご存知の通りそうではなく、まず最初に政策(マニフェスト)が作られてそれを元に投票しますけど、そこで投票するのは「人」に対してであって、政策を実行するかどうかは信頼するしかなくて、実際に政策を実行しようが、政策に書かれていないことを実行しようが、選出されて権限を得た後は好きにできるというのが今のシステムです。

大日本共栄圏の大統領システムはそうではなくて、あくまでも「約束」をベースにしていました。投票の前に「誰それは、これこれ、こういうことをします」という誓約書を提出させ、それを全住民が確認し、その「約束」に対して投票をしました。その上で、その約束をした人に対して「大統領」という地位を一定期間(4年とか)与え、「約束」の範囲に限定した権限を与えたのです。

それに加えて、外交の窓口になったり戦争を仕掛けられたとか自然災害などの緊急時には率先して指揮を取ることが大統領に求められました。

ですので、大統領としての役割はそこまで大変でないことが多く、名誉職の意味合いが強く出ていました。

大日本共栄圏での大統領は自分の出身の藩あるいは一部地域の統治者の役割を兼ねていましたので大統領の業務はそれほど負担にならない範囲で遂行されていたように思います。

これは、元々は織田信長が自分の後継をどうしようかと考えた時に、太平洋沿岸にまで広がってしまった大日本共栄圏を維持するには日本という一地域から全土を支配するのは難しいと考え、4年で限定的な権限を持たせる制度を考え、それがうまく稼働したのでした。

大統領の権限は制限されていて、最初こそあまり理解してない藩主が自分の好きにしようとしましたがそこは織田信長が当初のルールを徹底させ、その後は理解も浸透してうまく回ったように思います。

聖書では世界創造の最初に光があった、とか、あるいは、言葉があった、などと言われています。人間の創造の前に光あるいは言葉があるわけです。この言葉とは普通の話し言葉のことではなくオーム(あるいはアーメン)のような普遍的な言葉=光としての神の創造があった、ということですけど、そのように、人間の営みや創造に先立って光=言葉の創造があるわけです。インドではオームという言葉が世界の創造とみなされていますが、オームというのはブラフマンのことでサットチットアーナンダですから光でもあるわけで、意味するところはかなり似ています。政治システムもそのように、人間に先立って光=言葉があるのが健全なわけです。今も基本的にはそうなのでしょうけど、仕組み、制度として権限に制限が明確にある点が今と異なります。

それは言い換えれば「約束」に基づいた制約と契約に基づいて大統領に権限が与えられたわけです。

最初は大統領は日本の藩主からのみ選んでおりましたが、織田信長の死後、各地方の統治が安定してきた頃から大日本共栄圏の地方の党首相当も大統領に立候補できるようになりました。

織田信長の死後は、特にアメリカ西海岸に移住がかなり急速に進んだこととアメリカンインディアンの人口も増えたことから、日本側の意識とアメリカ側の意識とで乖離が出るようになっておりました。日本からアメリカ西海岸の状況がよくわからず、それでいて日本の大統領が作る政策にアメリカ側の不満が高まっていました。アメリカ側は「そんなことする必要ない」と言って日本列島側の政策を突っぱねたり「日本は状況がよく分かっていない」と言って、「いっそのこと、独立しようか」とも考えていたのですけど、アメリカ側がそうして離脱の動きを見せると日本側は焦り出して、考え方を改め、「分かった。これだけ大日本共栄圏が広がったのだから、地方も含めて、大統領に立候補できるようにしよう」と決め、それならば分かった、ということでアメリカ側は納得したのでした。元々、信長が生前に「将来は共栄圏の全土から立候補できるようにするように」と言っておりましたので、その意思を共有することで割とスムーズに問題は収束に向かいました。

そのために、まず投票の人数を確定させなければならないということでアメリカ移住の人とアメリカンインディアンの住民調査がなされました。そこではもちろん一人一票なわけですけど意外にアメリカの住民が多くて、それでも日本側は気にせず大統領選をしたのですが、アメリカ西海岸から大統領に初めて立候補した士族がいきなり勝利し、アメリカから出た初めての大統領になりました。それは日本列島からしたらかなりショッキングな出来事で、地政的な大変動が起きた瞬間でもありました。それ以降、日本列島から大統領が選出されることは少なくなり、大日本共栄圏での日本列島の重みはこの大統領選以降、急に下がり、その状況は現代にまで継続します。

日本列島はまるで、かつて栄えたものの忘れ去られた土地のようになりました。武家の屋敷はそのまま温存され、綺麗な街並みはあるのですけど、最先端はアメリカ西海岸が舞台になりました。

一方、大統領システムはうまく回り、アメリカや、あるいは、オセアニアの小さな国が選出されることで「資源を取りすぎない仕組み」や「分かち合いシステム」などが強化され、自由と愛、安全、そして分かち合いとが共存する、かなり理想的な共栄圏が生まれたのでした。

(続きます)



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