スピリチュアルで支配者がいなくなる、という嘘と罠

2022-06-18
トピック:スピリチュアル: 歴史

(続き)

スピリチュアルにおいても、少し前のニューエイジの風潮において「これからは支配者などは存在しなくて個々が自由に生きる時代だ」とか散々宣伝されましたけど、これは、実のところ新興の支配者層が「国民主権」とか「支配者のいない世界」という宣伝をして既存の勢力の力を削ぎたかった時にたまたまスピリチュアルが流行ってきていて、うまく使って宣伝された、という面が強いように思います。結局は政治宣伝に使われて踊らされただけだったわけです。その一部には真実が少しはあるのが常ですけど、真実の割合の方が少ないわけです。やっている側も聞いている側も、一見よくわかるようでいて実のところよくわからないお話だったように思います。

宣伝する側もあまりよくわかっていなくて本来のスピリチュアルとは違ったニュアンスで宣伝されて、その結果、あたかも自由にエゴの赴くまま生きていれば良くなるのだという勘違いスピリチュアルが助長されてしまったように思います。新興の支配者層が宣伝のためにスピリチュアルを使ったために本来のスピリチュアルの意味が間違って解釈され、良くわからないものになってしまったわけです。新興の支配者層からすれば既存の盤石な支配者の力が削げれば何でも良いわけで、政治宣伝をそれとわからないようにしていたらスピリチュアルの側が勝手に変わった方向で解釈してしまった、ということだと思います。

それは人の心を混乱させ、更には世の中を混乱させてスピリチュアルとは逆の方向に導く、スピリチュアルを潰すための罠という意味も多少は含まれていたかと思いますが、そこまで意図的に罠にかけたわけでもなく、単にこの辺りのことが良くわかっていないだけなのではないか、と思えるのです。

スピリチュアルの目的地は自由と言えばそうですけどそれはエゴとしての個人的な行動の自由ではなくて統合と場所的意識・集合意識による自由ですので、スピリチュアルで支配者のいない世界とか言って支配者を否定するのは後者の集合意識のことではなくてエゴが自由に生きますということですのでエゴの強化でしかないわけです。エゴが拡大して自由になるというのはスピリチュアルのお話ではないわけです。スピリチュアルの自由というのはエゴが小さくなって集合意識になることでエゴが消え去るということなのに、あたかもエゴを自由にさせれば良いかのように宣伝し、本来のスピリチュアルとは全く逆のことがあたかもスピリチュアルの道かのように宣伝されて、その結果、スピリチュアルが変な目で見られてムーブメントが潰されてしまっているわけです。

これはちょっと勉強すればすぐにわかる簡単なことではあるのですけど、本当のスピリチュアルの主張と勘違いのエゴの自由とがそれぞれ宣伝されて、お互いにお互いのことを「これが正しい、これは違う」という言い合いに発展してしまい、両方ともが潰れてしまったという歴史があったように思います。この辺りのお話には地雷が埋まっていますから、自由とかを主張するスピリチュアルにはあまり関わらないのが良いかと思います。

実のところ、この種のお話のように、支配者層が自分の都合の良いように宣伝するために流行の言葉を使うというのはよくあることで、スピリチュアルにしても本物のスピリチュアルは存在したわけですけど、本当は違うのだけれども世の中ではいいように宣伝されている、というような落とし穴がこの世界には多すぎて、のほほんと人生を生きていると簡単に人生ゲームに詰まってしまいます。何度も落とし穴に落ちたり実際に誰かが倒れることでその屍の上に誰かが歩む、というような、比喩的に言えばこの世界は「クソゲー」「死にゲー」状態の現実なわけです。こんな難しい現実の人生ゲームは普通に行き当たりばったりに生きたらすぐにゲームオーバーなわけで、無限にハメられていて抜け出せない方があまりにも多すぎます。

スピリチュアルをするにも落とし穴が多すぎて、勘違いしてしまう罠が色々とあったりするわけです。なかなか難易度が高いですね。

世間で言われているような「自由」みたいなお話を真に受けて自分が自由だとか思ってしまうと実は全然自由ではなくて勘違いしてしまってあっという間にゲームオーバーで誰かの手のひらで踊らされるだけになったり、そんなお話が多すぎるわけです。

(続きます)