支配者層が街に出て交流することはそれほどなかった

2022-06-16
トピック:スピリチュアル: 歴史

(続き)

グループソウルの記憶を辿るとわかることは、やはり昔も今も支配者がこの世界を治めていて、何ら変わっていません。変わったのは、昔は表に支配者が出てきていたので誰が支配しているのかわかりやすかったのですけど、今は出てこないので実際は誰が支配しているのかよくわからなくなったことです。とは言いましても、状況が少し違うだけで、昔とそう変わらないとも言えます。

世間では、昔よりも随分と良い世界になった、みたいに言われていますけど、昔だってそれなりに良い世界だったように思います。支配者がいて国民がその籠の中で暮らしているという点においては何ら変わらないわけです。今は知恵がついて情報が行き交っていますから「見えない支配者に支配されている」とか騒ぐ人がいたり陰謀論を唱える人がいますけど、そんな支配は昔からあったのであって、昔も今も支配者たちは自分達で全てを決めていますから、一体何が起きているのか一般大衆が知る由もないわけです。

民主主義で国民が主権の筈なのに何かよくわからない影の支配者がいるように思えたりして、一見すると、どうなっているのかよくわからないという意味では昔より酷い世の中になっているように見えたりします。ですけど、それは、もともと国民主権なんて最初から存在していないのにも関わらず、変に期待を持たせて主権があるかのように勘違いさせてしまったが故にそのように見えたり思えてしまうわけで、最初から何も国民には知らされていなくて、国民主権かのように思わされていただけでしたので、ですから、陰謀論とか影の支配者が裏にいるかのように思えるかもしれませんけど、そんな勘ぐりをするだけ無駄で、最初から国民は支配者のことを知る由もなくて、国民主権になる以前からずっと今まで全く変わらず国民は支配者に支配されてきたわけです。

一般大衆が支配者層を理解できないというお話は昔からのことで、それでも、支配者がたまに街に出て市民と交流するというのは昔も今も変わらずあって、今の方が昔より街に自由に出やすいという意味では変わってきてはいるのですけど、昔も街に出ようと思えば出られましたし、例えばローマ時代などは支配者と国民の距離が近い時もあって、支配者であっても町の酒場や食堂で食事をしていたりしました。その時に普通に市民と交流もしましたし、生活の大部分においては別の区画で暮らしているとはいえ、街に出て市民と接しようと思えばいくらでも接することができる状況にあったわけです。

昔も今も、支配者層の側から時々街に出て市民と交流をする、という形になっていて、逆ではなかったように思います。市民が自分の意思で支配者層と会うことはできないわけです。今も昔も。

今でも支配者層が街に出ることがもちろんあるのでその点に関しては同じと言うことができて、支配者層が市民と交流することは今でもあるわけです。ですけど、ローマ時代は支配者が誰かというのがはっきりとわかった上で街に出ていたのに対し、今は、なかなかわからない、という違いはあります。グループソウルの記憶を辿るとローマ皇帝でメンヘラだった時に街に出て交流もしていたように思います。

お殿様がいた江戸時代などを振り返ってみると、お殿様は屋敷やお城にずっと生活していて、武士たちや町民とは少し離れたところで生活していました。町の住民と交流することも多少はありましたけど基本は離れた生活をしているわけです。これもグループソウルの記憶を辿ると、水戸黄門みたいにお忍びで街に出ることは実際には少なかったものの、時々、ちょっと街に出たりする時はありました。ですけど、お殿様の場合は少し距離のある感じでしたかね。

(続きます)