自然の資源は取りすぎないのが原則(同テーマ&時系列の前記事)

分かち合いシステムが大日本共栄圏で作られた経緯

2022-06-12
トピック:スピリチュアル: 歴史

(続き)

そのように、歩み寄りが少ない、という問題点はあれど、少なくとも、大日本共栄圏の分かち合いのシステムはとてもうまく動いていて、その原則として、自然の資源は経済活動の対象にはしないで必要な分だけ取って分かち合いをする、という共通認識があることでうまくシステムが回っていたのでした。

このシステムは、今の世界にも適用可能だと思います。

元々は、この部分に関しては日本から言い出したことではなくて、大日本共栄圏は大統領選挙みたいに4年くらい毎にリーダーを選出するのですけど、確か今のオセアニアの小さな国のどこかが政策を提案して、それが通ってこの原則がその後ずっと継続したように思います。

その前段階として、今のタイムラインでは織田信長が一向一揆を皆殺しにしていたりしますけど、大日本共栄圏のタイムラインにおいては本当に食べ物がない状況を確認した上で恩赦をしていて、農民を皆、公務員にした上で土地も藩の所有にして、地主もそれなりの給料で公務員として雇い、まずは食べ物に関して共有財産にしたのでした。その土台があった上で、その制度を全国に広め、更には、時が流れた後に、そのようにオセアニアのどこかの国が主体となって原理原則を打ち立て、それによって自然の資源は経済活動の対象にしない、という原則が定着しました。

不思議なことに、そのように人々の基本的な暮らしが守られることにより、人口増加も自然に緩やかになって、ある一定の人口で安定あるいは微増になったように思います。これは狙って行っていたことではありませんが、結果として、後の時代から見て、その効果が検証されました。

思うに、人々は自分の老後の不安があるからこそ何人も子供を産んで将来を安泰にしようとする心理が動くわけで、老後の心配をする必要がなくて衣食住も国のシステム及びコミュニティによる分かち合いによって支えられていて不安がないのであれば頑張って子供をそこまで作らないのかもしれません。

人口が増えず、食糧生産は機械化により十分で、アメリカ西海岸及び中部の豊かな穀倉地帯もあり、海洋資源も取りすぎずに海の営みが保たれれていて、木々も保全及び植林がなされて適切に取得していれば、まさに何も困ることのない、理想的な社会を実現できていたと言えます。

その、理想的なタイムラインは、欧米の核爆弾によって吹き飛んでしまっています。欧米からしてみたら、そのように搾取できないシステムは面白くない、ということなのでしょう。余談ですけど、今の現実においてもこの「面白い」というキーワードは搾取者を見分ける良い方法の一つになっていて、「面白い」という言葉のニュアンスによって搾取者かどうかを見分けることができるように思います。必ずしもその言葉が直結しているわけではありませんけど、そのような「面白い」という言葉に搾取あるいは他人を困らせるというニュアンスが含まれている場合は、欲望に塗れた支配者がうまく言葉を隠して表現してはいるものの、その言葉の隙間から本音を垣間見ることができて、搾取者を見分ける良いヒントになる時があるように思います。

実際、理想的な社会は「面白い」というよりも「幸せ」な社会で、とても暖かい世界な訳です。この辺りに、未来の行く末の理想図としての方向性の違いがあるわけです。面白い社会を目指すのか、あるいは、幸せな社会を目指すのか。意外にこの辺りは大きな違いになってくるわけです。

(続きます)



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