呪いによるトラウマ攻撃に対処する

2022-02-16 記載
トピック:スピリチュアル: 呪いとトラウマ

最近の言葉で言うと術式とでも呼ぶのでしょうかね。

この種の攻撃術は昔からあって呪いとか法力とか色々な言葉で言われていたりしますけど、本人がそれを意図しているかいないかに関わらず無意識でも術は発動していたりするものです。誰かを呪えばそれは術ということですから、誰かに対して怒りや憎しみを感じたことがある人は、多少は術式を使っていた、ということでもあります。そうは言いましても能力が高くない人の場合はそれほどうまくはかかりませんけど、時に、うまいことかかってしまうことがあって、そうなると相手には呪いがしっかりとかかってトラウマで悩まされる状態になったりします。呪う方からしたら、してやったり、なのかもしれませんけど、呪われる方からしたらいい迷惑です。

例えば、恋敵を排除するために呪いをかけるということはよくあるように思います。その場合、とある思念に反応して不愉快なイメージが浮かぶような呪いがかかったりします。本人はそうは意図していないのだとしても、割とそんな感じで呪いがかかることが多いように思います。特定の感情に反応するような呪いというのは、まさに呪いをかける人の本人の感情そのものであるわけで、呪う方の心理状態がまさにそのように、特定の条件に当てはまったときに怒り狂うような精神状態であるが故に、それが「切り離されて」、その切り離されたオーラが相手に張り付くことで、同じような条件付けを持って怒りが発動するようになるのです。最近の言い方をすると、特定の条件で怒りが発動するという術式になって相手のところで発動してしまうわけです。術をかけられた方からするとトラウマになったりするわけですけど、元を辿ると、誰かが貴方を呪うほど憎んで排除しようとしたからこそ呪いという術がかかってしまうわけです。呪いをかけるのは怒り狂える人にとっては割と簡単で、相手に対して怒り狂うことを一定以上の感情でした上に急激に強く呪う相手のことを思って思念波を飛ばせばそれは呪いになります。モヤモヤと自分の中で怒り狂って、爆発させて相手に飛ばすわけです。相手に怒鳴ったりすると飛びますし、怒鳴らなくても気持ちだけでも十分に呪いが飛びます。

一方、あまり怒らない人が呪いをかけるのはかなり難しいです。それは理屈の上から言っても当然で、条件付けができるほど相手を憎まなければ呪いなどかけられないのですから、あまり怒らない人は相手を呪うということはできないわけです。

この種の呪いについて昔からスピリチュアルで言われていることがあって、「呪いは自分に返ってくる」とか、「呪いをする人は自分が呪いに食い殺される」とか、色々な言い方がありますけど、それは理屈を考えればそれは当然のことで、相手を呪うためにはそれだけ自分が怒り狂う必要がありますので、それだけ相手を呪ったとしても呪いの気持ちのほんの少しを相手に飛ばすことができるだけですから、残りの自分は怒り狂ったままになりますからその怒りの気持ちをどうにかしなければ呪いが返ってきた形になって自分が呪いに殺されてしまうのも当然というわけです。

この種のお話は、もちろん、呪いをかける方が悪いのであって、呪いをかけられてトラウマになった人が罪悪感を感じる必要は全くないわけです。


■トラウマが呪いによるものである場合、自分に原因はない

呪いをかけられると、呪いのオーラの塊が飛ばされてきて他人のオーラの表層に張り付きます。体からちょっと離れた場所に吸い付くように呪いの術式が取り付いて、呪われた人が特定の思念を発するのと同調するようにして呪った時の思念が再現されるわけです。その発動トリガーは呪う人が呪う時にトリガーになった思いと同じですので、呪う側が特定の場面に対して怒りや憎しみを感じていたとしたら、その同じトリガーで同様の憎しみがトラウマとして再現されることになります。

ですから、トラウマの思念は、それが呪いであるとして誰かから呪われたものである場合、本人が原因のものではなくて、他人に責任があるものなわけです。呪ってきた人が不愉快な思いをして呪ってきたその思いがそのまま思念波として再現されるわけで、呪われてトラウマになってしまった人は被害者であるわけです。

ですけど、この辺りの理解が一般にはあまり広まっていないために、例えばですけど、よくあるのは恋敵を呪うと言うパターンですけど、呪った方は恋敵を排除することで美人やイケメンを手に入れることができて、呪われた方は苦しんでトラウマを感じるようになり、メンタルに異常をきたすようになってしまうわけです。

いくつかの結婚を観察してみたところ、とても「(一見すると)いい性格の子」が結婚する場合、その結婚相手がこうしてライバルを呪って蹴落としている場合がそれなりにあって、でも、(一見すると)性格がいい子はそんなことに気が付かなくて、結婚相手を「(一見すると)とても良い人」だと思っている場合が割とあるように思います。何故にそんなことが多いのかな・・・ と思って少し観察したことがあったのですけど、そういう場合は、ライバルを呪うことはあっても一応は結婚相手のことは愛しているので呪わないので「いい人」とみなされているようです。とても制限された、その人に対する愛が一応はあるようです。そうは言っても、その「(一見すると)とても良い人」はライバルを呪ったり蹴落としたりしているわけで、実際にはそんな良い人ではなかったりするわけですけど、「いい性格の子」はそんなことに気づいていなかったりします。更に観察すると「いい性格の子」と私が思っていた人は、結局は自分が快適ならばそれで良い、みたいな割と浅い考えの子だったりしますので、結局、視野が狭い人同士が実は結婚していたりして、似たもの同士がくっつくのならば、まあ、そんなものか・・・ と思ったりもします。この種の呪いは片方だけがすることが多いように思いますので、片方は割と視野が狭いものの一応は純粋な子で、もう片方はライバルを呪って蹴落としてその子だけを愛する、みたいなパターンが割と多いのでしょうかね。そんな純粋な子はあまり視野が広くないこともあるように思います。純粋な子とは言っても割とわがままだったり、大人しそうに見えても不機嫌になるとキレたりヒステリーを起こしたりして、一見すると純粋そうに見えても、実は割と似たもの同士がくっつくということになっていることもあるのかもしれません。あるいは、全てを分かった上で、自分に対してはそれほど危険がない人なので住居の確保と日常生活における安全の確保のために選択しているという頭のいい人もいるにはいるように思えます。そうして、ライバルを呪って蹴落として美人やイケメンを手に入れているパターンがそれなりにあるように思えます。

ただ、理由はどうであれ、呪われる側からするといい迷惑なわけです。対処方法は人それぞれかと思いますけど、しつこい人は延々と攻撃してきたりしますので、攻撃者が近くにいるような人は丸ごと全員、関わらないと言うのも手です。私は割とそのように、丸ごと関わらないようにしています。ですから、めんどくさい人が近くにいると、良い人も嫌がって丸ごと離れていくという場合がそれなりにあるように思います。

ですから、良い関係を周囲と保って行きたいのならばめんどくさい人をそもそも近くに置かないと言うのは大切で、身の回りの人間関係の整理というのは必要のように思います。

補足しますと、スピリチュアルな人はよく責任論のお話を「自分も他人も区別はないのだから全て自分が引き寄せたもの」みたいなお話をして呪いを享受してしまったりしますけど、確かにそれは究極的にはそうなのですけどこの現実を生きる上では他人との区別というものは存在しておりますのでいちいち他人の呪いを引き受けていたら自分の生活が成り立ちませんし、そもそもそういうお話であれば貰ってしまった呪いを本人に返してしまったとしても「自他の区別はない」のだから返そうが返すまい変わりがないわけです。呪いをどう扱おうがどちらにせよ同じなのでありますので呪いを本人に返してしまっても全く問題ないわけです。この種の「自他の区別はない」というお話は自己正当化の言い訳あるいは厄介事を他人に押し付けるための口実に使われていることが多々ありますのでそのような詭弁のようなお話に乗って呪いを引き受けてしまうことなく、呪いに対してはきっちりと対処すべきなわけです。プラーラブダ・カルマ(一度発動してしまったら継続する種類のカルマ)がありますので引き寄せの法則はあるにはあるのですけど、永久にそのまま享受しなくてはいけない、というお話にはならないわけです。


■他人からの呪いのトラウマは自分にとって「代名詞」と「視点」と「方向」がおかしい

私の場合、あまり意識せずに暮らしていても毎日が楽しいので割と笑顔で過ごしているために、特に若い頃は、何となしに私が同年代の女の人を見ると私がキラキラ笑顔をしているので女性の方は「あれ、私(女性)のこと好きなのかしら」と勘違いしてくれて、私からするとただ単に毎日が楽しくて笑顔でいるだけですので、たまたまそっちを向いただけだったりして全く意識していなかったりするわけですけど、そうして女性の方が勘違いしてくれるものですから、その女性を好きな男が私を勝手にライバル視して私を呪ってくる、ということがしょっちゅうありました。ほんとこれはいい迷惑で、私はどうでも良い女のことで私の知らないところで勝手に呪われて思念波を飛ばされたりしていて、意味のわからない呪いでトラウマ発動、みたいなことが若い頃はよくあって、原因を探ったり解決するのに苦労しました。

私はそうして、あまり知らないところで勝手に恋敵から呪われる、みたいなことがよくあったわけですけれども、そうして意味不明なトラウマを受けた結果、おそらく呪われたと思われるトラウマの思念をしっかりと観察してみると「代名詞」や「視点」がおかしかったりするわけです。それは、呪った方からの視点での代名詞になっていますので、トラウマを感じている方の視点ではないのです。トラウマの思念波の視点がおかしいのですよね。

そういう点でも、それが「私」が作り出したトラウマではない、「私」が原因によるトラウマではない、ということがわかりますし、そもそも、トラウマは自分にとって意味不明のトリガーで発動しますしトラウマの内容も自分に心当たりのない内容だったりします。

例えば、私は男ですけど、勝手に私を恋敵とみなして呪ってきた男が発したと思われる呪いがあります。その呪いの発動トリガーは「私が昔、知り合いだった女性のことを思い浮かべること」プラス「その時の状況に似た展示会のような環境のイメージ」が組み合わさると発動して、発動した時に流れる思念波は「私とその女性に対する怒り」と「私とその女性に対しての殺意」だったりします。おそらくは一応は恋人で付き合っている風の二人だったようですけど、女性の気持ちが私に傾いたことを見て、私に対しては怒りと殺意、その女性に対しても裏切りの怒りと殺意を抱いたようなのです。その時、思念波で再生される「代名詞」は私が普段その女性に対して使っていた呼び方ではなかったり、普段私が他の人に対して使う代名詞の使い方や感覚とは違っていたので、そのトラウマの思念波を発している原因が「私」ではないことが理解できたわけです。もっと具体的に言うと、その思念波が教えてくれることには、その、私を呪った男性はおそらくその女性と深い関係だったことがあって(おそらく、それなりに継続中で)かなり信用していたのに、その信用を裏切って私の方に気が向いたものだから、裏切られたという思いと、裏切られるくらいならその女性を殺してやるという殺意とが入り混じっている呪いがそのトラウマに含まれていて、女性が私の方に気があるのを見て「あぁ、そんなの嫌だ、嫌だ、嫌だ、(自分を裏切ったその女性を)死ね、死ね、死ね、あの女、嫌だ、あの女、嫌だ、あの女、嫌だ。裏切った憎い女。嫌われるくらいなら殺してやる」みたいなひねくれた殺意がその呪いの思念波に含まれていたわけです。ですけど、私からすると全くそんなことに心当たりがないので、急にそんな呪いをかけられて、しかも内容が最初はさっぱり理解できずにトラウマが呪いの術として発動して急激な精神虚脱状態に陥ったりしていましたので、かなり昔は苦労しました。今も不意に少し思い出したりするトラウマもあったりして、しっかりと深くかかった呪いの術は長く人を苦しめるという実例のように思います。

ですから、私は、そのように易々と他人を呪ってくるような「嫉妬する男」が大嫌いなわけです。いい迷惑です。ほんと、知らぬところで勝手に呪ってくるなんて、勘弁してください。そもそも、他人を呪う気持ちというのが私にはあまり理解できなくて、どうしたらそこまで深く他人を呪えるのか知りませんし、知ろうとも思わないわけですけれども、それでも、誰かが勝手に呪ってきたりするのでそれに対処をせざるを得ない状況なわけです。

他の例としては、これまた男女関係になってしまいますけど、私に対してちょっとした誤解みたいなのがあって、私に対して「死ね」と念じてきた想念がそのまま飛んできて怨念として残り、私にとってのトラウマになってしまったものがあります。この場合、トラウマをよく観察してみると、「視点」が、「私に対して」の怨念な訳です。トラウマなのだからそんなものだ、と思われるかもしれませんけど、この「視点」をしっかり観察して見極めることは重要で、「元」は「誰が作り出した」怨念なのか、その視点から見極めることができるわけです。トラウマの対処というと単純に癒しだとか受け入れだとかいうお話になったりもしますけど、実のところ、自分に原因はなかったりするわけです。呪われるようなことを私の方がした場合もあるにはありますけど、直接的に呪うという行為をしたのは相手なわけですから、問題があるのは相手なわけです。呪われたこちらは、ある意味、被害者や犠牲者とも言えます。

これらの呪いのトラウマには、方向性があります。思念の方向性として、誰から誰に向かって呪いのエネルギーが飛んでいるのか、方向があるわけです。とは言いましてもトラウマが浮かび上がってきた瞬間はただただ苦しくて我を失って意識がなくなったりするようなことも時と場合によってはありますし、思い出したくもないことも多いですのですぐにその方向性までも理解するのは難しいとは思いますけど、次第に弱くなってた時に方向性も見極めることで「ああ、これは私が作り出したものではない」ことが理解できるわけです。

特にスピリチュアルな人にとってはこの種の感受性が強くて、多少の呪いとトラウマでも強く感知してしまうことがありますので、他人が思う以上に呪いのトラウマに強く影響されてしまうことがあります。そして、呪いとトラウマに対する理解がなされていないがために「トラウマは対処しないと」とか「トラウマはインナーチャイルドだから癒さないと」みたいに自分の問題として対処しがちですけど、実のところ、そのトラウマの大半は自分が原因ではなかったりするわけです。

とは言いましても、私は元々、怒りとは何なのか知らなかったような子供時代を送ってきましたので、実のところ他の人は事情が違うのかもしれませんけど。私の場合、自分の数々のトラウマの原因を瞑想などで探ってみたところ、そのほとんど全てが他人による呪いによるトラウマだったように思います。

トラウマは過去世の出来事に繋がっていることもあって、私は分霊になってから転生が2回の若い魂と言えばそうですけど、元となるグループソウルには色々な経験をした魂が混ざっていて、今回の私の人生の目的の1つはそれらグループソウルが溜め込んでしまったカルマの解消であるが故に、当時の出来事に繋がるトラウマを思い出すことがあります。元々「自分が原因によるトラウマではないので気にすることはない」「今の私がそこまで責任を負う必要はない」と私の見えないガイドから言われてはいたのですけど、それは「グループソウルの分霊が原因で作り出した呪いのトラウマではない」と言う意味でもあったわけです。ですけど、そう言われてはいたものの、生きているうちに認知が歪んでしまって、やがてはそれを「グループソウルの分霊がそれぞれの過去世のうちに作り出したトラウマなので気にすることはない、だから、今の私がそこまで責任を負う必要はない」と言う意味に捉えるようになっていました。元々の理解から離れて、認知の歪みにより違って解釈するようになってしまっていたわけです。実際のところ、それは「当時の自分相当の分霊が他人の呪いを受け取ってしまったことによるトラウマ」であるわけですので、正しく認知する方が良いわけです。今いる自分と当時の分霊という二項対立で捉えるのではなくて、今いる自分(あるいは当時の分霊である自分相当)と(当時に)呪いを作り出した呪い主、という二項対立で捉えるべきだったわけです。視点として、呪いを作り出したのは今いる現代の自分でもなければ当時の分霊でもなかったわけです。当時の(グループソウルの)分霊はその人生において使命を果たしていたわけですけど、色々と世の中を変えようとすると既得権益を持つ抵抗勢力が現れて、現世利益のために色々と嫌がらせや攻撃を仕掛けてくるのはどの時代もそうは変わらないので、その攻撃の一部には呪いの思念波も含まれていて、その強く呪われた怨念がトラウマとして残っていたわけです。それらのトラウマは、どうしてそんな私の知る由もないトラウマがあるのだろうと長年思ってきましたけど、それは、呪いというものやトラウマというものが何なのかを理解しさえすれば、対処こそすれ、その原因について私があまり気にする必要はないわけです。

この辺りは、しっかりと思念波の方向性を理解しなければ単純に「楽かどうか」みたいな単純なお話に陥りがちで、単純なお話に落ちてしまうと、誰が原因で呪いが作られたのかの解析にまで至らないわけです。

この種の解析とは別に、波動を高めてオーラを強化して呪いに影響されないようにする、というお話もありますけど、それらは割と車輪の両輪で、単に波動やオーラを高めるだけでは不十分で、それと同時に、原因を見極められるだけの波動に対する感知力を高める必要があるわけです。


■呪いのトラウマの対処方法いろいろ

理解できたところで呪いが発動している間はその呪いに悩まされてしまうわけですけれども、まず呪いだとわかったならば呪いを弱体化させるかやがては取り除くのが良いと思います。呪いを取り除く方法としては色々あって、それは言葉で言い表すのが難しいですけど、摘めるようであれば摘んで取り除くとか、割と巧妙に隠されていて見えない空間に埋め込まれているような場合は、その空間に対して意識をずっと(瞑想などで)集中させることでその正体を明らかにします。

例えば、私の右肩の少し前方、上寄りのところに呪いが一つ埋め込まれていてトラウマになっていたことがあったのですけど、それはまさに透明な、イメージで捉えにくい呪いでした。じっとその空間を瞑想や落ち着いている時に意識を合わせ続けていたら、やがて、紙のような石板のようなものの上に読めない縦書きの文字のようなものが書いてあるのが見えて、こういうのは一度で完全に取り除くのは難しいですけど、一旦見えてしまえば対処もできますので、随分とトラウマが軽減されたことがあります。

時には、トラウマが異空間の向こう側のようなところに埋め込まれている時があります。肩のあたりのオーラにじーーっと意識を合わせていたら呪いが実体化したかのように見えたのですけど実際は異空間の向こう側に繋がっていて、球根が埋まっているような、あるいは、ニキビの塊のようになっていて、グッと引き抜いたら急に肩の緊張が解けたことがあります。トラウマというのは肉体的な緊張と結びついていることがほとんどのような気が致しますので、そういうところから探るのも手だと思います。

あるいは、しっかりと意志で「こんな呪いのトラウマには負けない」と決断することで呪いとの力比べになったりします。最初こそ呪いの方が強くても、意思の力から言えば人間の方が強いので、何度も何度もトラウマになりつつもその度に抵抗しているうちに、トラウマを克服することができるようになります。

ただし、これらはどれも時間がかかりますので少しづつ対処する必要があるように思います。急に一気に対処しようとすると精神が持たなかったりしますので、少しづつ対処することが肝心のように思います。

この種のお話は「押し退ける」という感じで対処するのがポイントです。トラウマになっている呪いを体の近くから引き離すために「押す」あるいは「引き抜く」ということが重要で、そのためには、自身の意志・気持ちを堅固に保って、そのトラウマに「負けない」という意志と共にトラウマを外に「押し出す」という具体的な「行動」が必要になってくるわけです。行動と言ってもそう強く意図して心の中でイメージと共にそのようにオーラの体あるいはオーラの腕などを動かすことを意図するわけですけど、イメージというのはオーラの形に強く結びついていますから、オーラのイメージで押し退ければ実際にトラウマは外側へと引き離されていきますし、オーラの手で引き抜くイメージをすれば実際にトラウマ(としてこびりついている呪いのオーラ)は引き剥がされていきます。

それと、そのトラウマの時に想起される苦しいイメージを、トラウマが現れていない時に「意図的に」少し思い出してそのトラウマに対する抵抗力をつけるという手法も併せて有効ですし、あるいは、密教的な手法で、その苦しいイメージを違うものに「変容」させてしまうのも手です。具体的には、その苦しいイメージを「意図的」に頭の中で作り出した後に、ギャグとか漫画のようなコミカルあるいはとても楽しい場面のイメージに想像で変えてしまうのです。最初は難しいかもしれませんがこうすることでトラウマがギャグあるいは楽しいエネルギーに変容してゆき、トラウマが減ってゆきます。

変容の方法として、「種」のようなものに固定させて取り出すのも有効です。そうして種あるいは何がしかのイメージに「実体化」させてから対処するわけです。実体化していないとモヤモヤとした状態で対処がしにくいのですけど、じっと瞑想などでトラウマの発生箇所である体のオーラの部分を観察するとその原因が実体化してきます。その後で、その実体化したもの、種なり何なりを取り出すなり、あるいは、その場で「火」のイメージを作り出して燃やしてしまうのも手です。

これらはどちらのみというわけでもなく、併用して対処するのがいいように思います。

更にいうと、瞑想を続けて集中力と観察力を高め、クンダリーニ等のエネルギーで昇華するということも可能で、そうすることでトラウマがかなりの部分で解消できたりしますが、強い呪いは残ったりしますので、その場合でも上記の対処はものによってそれぞれ必要に思います。

神社の「お祓い」「祈祷」は浄化としてちょっとは効果がありますけど場所にもよりますし、日常生活で周囲を清潔にする一環として時々利用されても良いとは思いますが、お金がなければわざわざする必要はないと思います。

霊能者に除霊してもらおうとして他人に頼るのはお勧めしません。たまに助言をもらうくらいなら良いですけど除霊としては大抵は無駄で、そもそもこの種の呪いのトラウマというのは自分で対処するのが基本であるのに他人に頼っている時点でカモにされているわけですから、他人を頼って霊能者のところに行くというのはやめておいた方がいいと思います。

それと、トラウマと思っていつつも、実際は、近くで見守っている友人知人の霊が「その場」で発している思いということもあります。自分自身が発した何がしかの過去のイメージに反応して、実際はそのイメージはアストラル界で実体化されたり遠隔視のようにテレビのように映し出されたりしますから、同じイメージを見た近くの霊が「嫌!!!」「それは駄目です!!!」「もう、何やってるの」みたいに拒絶反応を示したり躾の思いを発したりして、その思いが自分に伝わってきた時にトラウマのように感じられるということがあります。不道徳な過去の行いの記憶や邪な思い、あるいは、あまり感心できない行動のことを思い出すと、それを一緒に見ている友人知人の霊が「それは良くないです!!」と、毎回のように反応してくるので、それをトラウマのように思ってしまうことがあります。この場合、トラウマかと思って埋まっているトラウマの実体化をしようとしても何もないことが多くて、そのような対処方法ではなくて、近くにいて自分に対して色々と躾をしてくる友人知人の霊、とは言いましてもそういう踏み込んだことまで言ってくるのは往々にして過去生のパートナーだったり親だったりするわけですけど、そのような過去生の妻なりに対して「あれは良くないことだった」と「説明」して「理解」してもらうことが肝心のように思います。このあたりは、生きている人間と同じですね。それぞれ原因があって、説明すれば理解してもらえる場合もあれば、もう呆れられて何処かへ去ってしまう場合もあるかもしれませんけど、そうは言いましても、過去生で生きているうちにしっかりとした信頼関係を築いていればそうそう見捨てられることはないように思います。あの世の存在としては地上の生活の姿を見ようと思えば割と何でもお見通しなのですけど(人によってどの程度、という差異はあります)、特に見ようと思わなければ見ないわけで、特に見ようと思っていなくても、生きている人間がイメージで過去を思い出したりするとついつい目に入ってしまうので、こうして躾が入ったりするわけです。

特に、長い付き合いの過去妻とかは、時に旦那の矯正に気合が入っていることがあって「私が良い方向に導いてあげる!」みたいに頑張っていることもあったりします。あるいは、単に和気藹々として見守っていて「あらあら(おほほ)」みたいに面白がって観察していたりすることもあったりして、それは色々です。お節介おばさんみたいに「あらあら、どうしたものかしら。それはこっちの方がいいと思うわよ!」みたいに元気に言ってくる子もいたりします。霊と言っても割と生きている人間と変わりませんので、普通の人付き合いのお話に加えてあの世では付き合いの時間軸がとても長いので、遥か過去からの知り合いだったりします。それに、あの世では若々しい姿を保っていますのでみんな割と若く見えますけど経験と見識は人それぞれで、凄く若く見えても言うことは鋭かったりします。姿は、あの世では自分が気に入った姿、あるいは、コミュニティにいる場合は相手に認識されやすい姿を選んでいます。ですので、実際の地上の姿よりかなり美化されて自分の姿を変えている場合もありますけど、それでも、特徴としては生きている時の雰囲気を継承していますので、特徴から誰なのかは割とすぐわかりますし、その特徴は地上に転生した時も引き継がれますので、何となく誰なのかは感じるとることができるわけです。そんな長い付き合いの過去妻とかに指摘されるわけですから、かなり鋭いという一面はあるものの、言い方もかなり上手で、頭が良い子が多いので、直接的にというよりも本質的なところでこちらに自ら気付かせるような指摘が多いわけです。これは人にもよるかもしれませんけど、私のところはこんな感じです。

この後の部分は呪いとかではないですけど思念波としては類似のところがあって、指摘というのは思いの波であって、厳しい意見というものも時にあって、それはしっかりと受け止めてすぐに直せば呪いのトラウマとしては残らないわけです。一方で、言われているのに治さなかったり敵対したりすると思いが連なって呪いのトラウマとして残ることもあるにはありますが、そういうの呪いは他人から受けることが多くて、身近な付き合いでは呪いにまではならないように思います。

あるいは、近くにいて見守ってくれる人(というか霊)と一緒に呪いのトラウマに対処する、というようなこともあります。自分一人で対処することもできますし、付き合いのある人と一緒に、長い付き合いの人(というか霊)と一緒に対処することもあるわけです。


■呪いのトラウマは死ぬまで、あるいは死後にも影響が続くことがある

スピリチュアルや瞑想で「雑念は気にせず無視しましょう」みたいなお話もありますけど、こと呪い系のトラウマに対しては無視をせずに何がしかの対処をした方がいいと個人的には思います。

と、言いますのも、この種の呪いのトラウマは場合によっては死ぬまで続いたり、死後も続いたりするからです。

人の呪いというのは憎しみのオーラそのもので、その種の呪いのオーラというのは誰かが他人を呪ったオーラが切り離されて飛ばされてくっつけられたということですから、そんなものは最初からもらわない方が良いのですけど、もらった後に対処しないとそれはかなりの長期に渡って影響が出たりします。

そうして一生を棒に振ったり、来世あるいはもっと先にまで延々とそのトラウマを引き継いだりする人も中にはいるようですけど、そうは言いましても人の思念波というのは時間が経つにつれて弱まっていきますから、新たなる呪いを受けなければ、既にある呪いは時間が経つにつれて弱まっていくのが基本なわけです。

呪いが弱まるのを待つのも手ですし、あるいは、対処できるのならば対処すれば良いわけです。
この種の呪いというのは他人でどうこうするのは難しいですので、基本は自分で対処するのが良いように思います。

すぐに対処できないとしても、時間をかけて対処をして解消してゆくという意志を持つことが大事のように思います。

そうしなければ、例えば職場でエネルギー・ヴァンパイアがあるように、エネルギーを奪われるばかりの存在になったりします。

世間で「大人しくしていましょう」とか「いい子にしましょう」みたいなお話がありますけど、確かに、「安全な環境」という前提があればそれはスピリチュアルな成長に不可欠なもので大切ですけど、一般社会の大人が同じことを言ったとしてもそれはエネルギーを奪ったり他人を強要するための都合の良い口実でしかないわけです。そうして大人しくさせ、エネルギーを延々と奪い続ける関係ができたりします。その場合、エネルギーを奪われる方は次第に元気がなくなるのと同時に、他人からトラウマの「ゴミ箱」にされて、精神的に病んでいきます。

実際のところ、この世の中は残酷なもので、知らない人というのは全く知らされずにそんなものかと思って日常を暮らしますので、エネルギーを奪われていても「そんなものか」ということになりますし、トラウマのゴミ箱にされていたとしても気付かなかったり「そんなものか」として日常を過ごしてしまうわけです。

それだけでなく、あの世に行ってもそれは続きますし、来世にも持ち越されることになります。

呪いのトラウマを他人から植え付けられるということは強制的にオーラの融合をするということでありますから、相手の変なカルマを引き受けてしまうということでもあります。こういう危険性を避けたいのであればよくわからない人と付き合うべきではないというのはもちろんのこと、こちらが知らないところで勝手に呪われてオーラを飛ばされた時にしっかり対処する必要があります。対処できないのならば人里離れて暮らすのも手ですけど、最近はなかなかそうもいかないかもしれません。一般常識で「皆と仲良くしましょう」なんて学校とかで言われていますけど、そんなのはお花畑が言うことで、スピリチュアルのことを考えるならば「仲良くする相手は選びましょう」が正解なわけです。ただし、スピリチュアル的には「波動の法則」が成り立ちますので、自分と同じ波動以外の人は視界から見えなくなってゆきますので、仲良くとかそんなことをわざわざ考えなくても、自分の波動を高めるようにすれば割と人付き合いの選択問題は自然に解消するところでもあります。そうして新たな呪いのトラウマを引き受けないようにした上で、既に受けてしまったトラウマは対処する必要があります。

生きていると、嫉妬されたりして、自分に非はないのに呪われてトラウマになることがあります。そして、それは来世以降にまで続きます。

その結果、現世では「過去世での記憶」の一部としてトラウマが再生されることがありますが、その場合にも、よく視点を見てみることです。自分からは怒り狂う相手が見えたりして、一見すると自分が怒っているかのように思うかもしれませんが、よく見ると、怨念は相手から飛ばされてきている、という「方向」が感じ取れるわけです。であれば、そのトラウマは自分が原因ではなく、過去世のその瞬間に、相手が原因で、相手が当時の私に対して呪ってきた怨念がトラウマとして現世にまで残ってしまっていた、と言うことが理解できるわけです。原因にもよりますけど自分に非がないと思われる場合は私はただの被害者でしかありませんので、 そのトラウマの塊を引き抜くなり火のイメージで燃やすなり何がしかの対処をすればいいわけです。


■スピリチュアルの言う「トラウマを受け入れましょう」は非現実的

スピリチュアル系のお花畑のお話ではトラウマの対処方法として「受け入れましょう」とか「愛で浄化」とか生ぬるいこと言ってますけど、それは自分で作り出したトラウマならそういうお話もあるのですけど、実のところこの世界で蔓延しているトラウマのうち大部分は他人からの呪いで植え付けられた、自分には本来関係のないトラウマだったりしますので、そんなスピリチュアルのお話が常識になってしまったら呪う側からしたらやりたい放題になってしまうわけです。かと言って自分が逆に相手を呪うと、少し前に書きましたように、呪いというのは自分に残ってしまったり戻ってきてしまったりしますので「やり返さない」というのは基本ではありますし、そもそも怒ったり憎んだりということが何なのかよくわからなくてそういう怒りの感情を自分で持つことがない人にとっては自分で憎むとかいうお話とは無縁なわけです。であればやり返すということにはなりようがないわけです。

自分の奥底を見たときに憎しみとか怒りがないのにも関わらず不意にトリガーが発動して苦しいイメージや怖い言葉が飛び込んできたりするのが呪いの特徴ですので、呪いに対処することはあれど、呪い返さない、というのは基本といいますか、そもそも自分の中の根源に怒りとか憎むとかいう感情がなければ呪い返すということにはそもそもならないわけです。

呪ってきた術の部分のオーラをそのまま自分のオーラから引き離して相手に返してあげる、ということはしてもいいと思います。元々、その人のものだったのですから、特に問題はないわけです。ただしそれには少しスキルが必要で、もしそれが可能であれば、というお話ではありますが。うまくやらないと自分のオーラもごっそり持って行かれてしまいますのであまりお勧めはしません。

基本は、少し前に書いた呪いのトラウマの対処方法などをすればいいと思います。

この種の話は2つの系統があって、1つは確かに純粋にトラウマに対処しましょうというお話で、スピリチュアルの本筋でもありますので、自分自身のトラウマに対処するためには「受け入れ」とか「愛を高める」みたいなところが本筋になります。それはそうなのですけど、今の社会は人里離れたところでゆっくりと暮らしているわけではなく雑踏の中で皆が暮らしており、もはや自分自身の葛藤だけに対処するという時代でもない訳です。

もう1つの系統は、術とか、人との関わり合いの感情面、スキル的、あるいは、自分のトラウマのゴミ箱として他人を使う系統で、それは割と純粋なスピリチュアルな理論をねじ曲げて、うまいところだけ使って相手を説得させた上で他人を道具として使おうとしてきます。実際には、呪いという形あるいはそうでなくても誰かのトラウマを他の誰かに押し付け、実際には他人のトラウマであるのに、当人はそれが他人のトラウマであると気付かず、呪いやトラウマを、押し付けられた当人が「受け入れて」対処する必要がある、みたいに偏屈なことを、もっともらしい理屈で納得させた上で、自分のトラウマを誰かに押し付けて解消させるためだけに他人を利用しようとして、そのように自分に都合の良い人を育てようとする流派が、必ずしもスピリチュアルと名乗ってはいなかったりするものの、それなりにあったりします。団体でなくとも、国家間の破壊工作でこのようなお話が宣伝されることもあります。スピリチュアルをやっている当人は何も知らないことも多いですので当人の悪意がないことがほとんどで、ですけど、理屈を見ればおかしい、ということがわかる訳です。これは、他人を奴隷にしたい、という系統と一致します。

そのような、おかしな流派や団体があったりしますし、実際、トラウマの大部分の原因は自分ではなく他人にあるのですから、スピリチュアルでもっともらしく言われている「トラウマを受け入れましょう」などというお話は間に受けない方が良い訳です。

おそらくは、自分の波動を高めるという意味での「(自分が作ってしまった)ト○ウ○を(自分が作ってしまったものですあら)受け入れましょう」と言う意味だったのかなと好意的に解釈はできるのですけど、おそらくはそれを聞いた他の人が都合よく解釈して使い回しているうちに元々の意味とは違って多くが解釈したり違って使われることになったのかな、と思っておりますが。どうでしょうかね。スピリチュアルは楽しいことばかりではなくて、いい顔をしながら「精神的に誰かを奴隷にしたい人」が時々寄ってきて、このような都合の良い解釈をして奴隷人間を作り出そうとしたりしますので、気をつける必要があるわけです。この種のお話は、トラウマのゴミ箱の人間を作りたいだけの人が都合よく解釈していたりします。純粋な人は「うーん、そうかな」と思ってそれがスピリチュアルだ、と思い込んでしまったりして、言葉は言霊になってしまいますからそのように単純に言ってしまうと他人のトラウマも受け入れるということになってしまいますので、思う壺になってしまうわけです。同じような言葉を言うにしても、内容をしっかりと理解した上で、言うとしたらきっちりと、少し長い言葉を使って「・・・は自分のものではないので受け入れません。・・・は自分が作り出したものですので理解するために受け入れます」などと自分で納得のいく腑に落ちる言葉に変えてアファメーションなどに使うのが良いと思います。

確かに、ある程度の対処をした後に、自分に残ってしまったトラウマのオーラを浄化するためにそのような「受け入れ」、「愛」あるいはクンダリーニのエネルギーで昇華するのは一つの手法ではあります。程度問題でもありますし、状況にもよりますし、絶対的な答えはないお話ではありますが。ですので、言っていることはそうは間違ってはいないと思うのです。元々言われていることを好意的に解釈しようとすればいくらでも解釈できるのですけど、実際にそのような言葉を発している人を見ると、どうも違って使われているように思うわけです。まず波動を高めて、残ったトラウマを何がしか対処する、という方法があるわけです。と、言いますか、実はそれが基本であったりします。

少し補足ですけど、トラウマのような激しい鋭い思念波は必ずしも何がしかのトリガーとは無関係に突如として現れることがありますので、一時に不意に現れる思念波に対してはできることは何もなかったりすることがあります。現実の道を歩いていると、ちょっと頭のおかしそうな人がふらふらと歩いていて周囲の人に怒鳴り散らかしていたりすることを(地域性もありますけど)たまに見たりしますけど、ちょうどそんな感じでそこらを見えない浮遊霊がふらふらと漂っていて周囲に怒鳴り散らかしていたりする思念波をキャッチしてしまうと呪いあるいはトラウマかのように思えてしまうこともあるかもしれません。ですけど実際にはそれは一時的なものであったりするわけです。トラウマというと何度も現れるのが特徴なわけですけど、過渡的にトラウマに似たような強い思念波が一時的にトラウマと同じように現れることがあるわけです。何も脈略なしに突如として別の事象に対する思念波だけが飛んでくることがあって、それは時に前触れなく現れたりしますので、原因を突き止めることが難しかったりします。このような、不意に現れるけれども原因がよくわからない思念波というのはとても多くて、色々と対処方法を書きましたけど対処できるのはトラウマとして「再現性」があるものが主で、過渡的に一時的にだけ現れて再現性がないものに関しては根本のところで自分の波動を上げるくらいしか対処することがなかったりします。

実のところそうして自分の波動を上げることが基本であって、対処方法というのはそれでも残っているトラウマをうまく対処するための方法であると言えます。ただ、トラウマの対処方法としては急を要しますのでそうも言っていられないところがあって、トラウマをなるべく先に対処しつつも、やはり基本は自分の波動を高める、というところではあります。

実のところ、こう言ってしまうと身も蓋もないのですけど、究極的にきちんとトラウマに対処するにはどうしても自分の波動を高める必要があって、一時的に何がしかの対処をしたとしても、長期的な視点で見れば根本的な対処としては自分の波動を高めるしかない、というところがあります。

そうは言われても、波動を上げるなんてすぐには無理ですし、そう言われても何のことかわからず途方に暮れますよね。せいぜいその気になることが関の山であるわけです。そのくらいなら、とりあえず波動を上げるとかいう基本のお話は緊急の場合は置いておいて、目の前のトラウマに対処するのがいいように思います。その上で、波動を上げる話は長期視点で取り組むわけです。


■トラウマの対処が「手ぬるい」場合が多い

呪いやトラウマについて、私の見えないガイド(いわゆる守護霊)がいうには、一般の人はもちろんスピリチュアルの人も含めて、とにかく「対処が手ぬるい。生ぬるい」とのことです。そのようなことをことあるごとによく言っています。スピリチュアルは「やり返さない方がいい」「愛が大切」「受け入れることが大事」とか言ってますけど、私を見守っている見えないガイドは「やり返してもやり返さなくても同じなのだからやり返して二度と呪ってこないようにしてしまえばいい」みたいなことを言います。

段階を追って呪いのトラウマが何なのかというのがそれなりに明らかになって、対処方法も明らかになってきた訳ですけど、そのような、普通の生活での対処方法とは別に、既にそれらの領域には興味がない、既に克服している私の見えないガイド(スピリット、いわゆる守護霊)には違う視点があるということです。

この辺り、特に「(やり返してもやり返さなくても)同じ」というところについて、ちょっと説明が必要なところですけど、結局は、広大な宇宙からしたらやり返してもやり返さなくても同じだ、と私についている見えないガイドは言います。基本は波動の法則があるので似た波動の同士でしかお互いに見えませんから、呪われたということは波動が多少は同調しているということで、そうなれば、やり返してもやり返さなくても、どちらにしても同じ波動領域にいるのは変わらないですし、高次の存在からしたらそんな呪いなんて次元の低いお話ですから、好きにしなさい、ということのようです。その上で、どちらにしろ同じであるなら、やられたら(呪われたのなら)、それは波動が同期してしまったと言うことを理解して、自分の波動を高め、そのような低次元の波動にもはや同調しないようにし、あとは、人間としてのプラーラブダ・カルマ(一度発動してしまったら継続する種類のカルマ)がありますので、既に発動してしまっているカルマの因縁に対しては感情抜きにスッキリと「仕事」としてスキルのみでしっかりやり返してしまい、相手がもうこちらに呪ってきたり近寄ってこないようにし、対処した後はすっかり忘れてしまうのが肝心で、後に残さないのが大切のようです。

私の見えないガイドは「(呪いだとかトラウマだとかいうのは)くだらない」ともよく言います。同じレベルでやり返すのは愚かなことで、憎み合ったり呪いあったりするのは愚かなことだ、というわけです。であれば、どうして「やり返してもやり返さなくても同じ」などと言うのかというと、そのような同じレベルでないのなら、上位の次元の波動による対処をするのであれば、それが一見して荒っぽくて排除のように見えたとしても、それは比較すれば高次元からの対処であるので問題ない、ということのようです。(このあたり、理屈をこねてしまうと自分で行為を正当化してしまう危険性があるので安易とそういうことを言って正当化すべきではないというお話もあるのですけど、)実際に、本当に(比較した時に)高い次元からの対処であれば、低い次元に対する対処は問題ない、と言うことのようです。「くだらない呪いなど、跳ね返してしまえ。やり返して二度と反撃できないようにしろ」ということのようです。

やり返すにもそれなりの慣れとスキルが必要のようで、この種のお話は「呪いをそのまま返してあげる」のが基本のようです。自分が仕返しに相手を呪ってしまうのは同じレベルに落ちてしまうことですのでそういうのはしなくて、勝手に向こうが呪ってきたのだから、機械的にその呪いをキャッチして送り返してあげればいいわけです。呪いなどグッバイです。

ただ、この種のお話はスキルが必要ですので、わからなければ、普通は自分でなんとかトラウマを対処するくらいがいいようにも思います。この見えないガイドはチベットで修行していわゆるアセンションっぽい感じまで進んだ人ですけど、あの地域は日本ほどは安全ではないですし、防御術とか攻撃術とかも色々とあるようです。ですけど、私は日本に住んでいますし、今はそう言うのを学ぶ必要はなくて、むしろ、徹底的にやられることで一般人の苦しみを知ることも勉強のうちなので、今は私の場合は特に防御法とか攻撃法とかを学ぶ必要がないようです。今後はわかりませんけど。それと加えて、基本的に、現世の細々としたことに興味がそもそもあまりない、ということもありますが。

この種の呪いは、その内容がうまく理解されていないがために今は呪う側が割と優位に立っていて、呪う方がやりたい放題になっている現状ではあります。ほんと悲しくなるくらい酷い状況です。割と、この世においては、呪ったもの勝ちになっているような状況ではあります。ですけど、そうして他人を呪っていたような魂は死後にグループソウルから歓迎されないことも多いでしょうし、そんな、元々いたグループソウルから拒否された分霊の魂の行先は悲しいもので、地縛霊や浮遊霊、怨霊になることも多いような気が致します。あるいは、他の健康な魂を吸い取って自分を生きながらえさせるヴァンパイアになることもあるでしょう。どちらにしろ、他人を呪うような魂は変な存在であることには違いがないように思いますし、その行先は悲しいものがあります。

よくスピリチュアルでは見えない存在のことを特別視してしまって見えない存在から言われたら何でもホイホイ従ってしまう人がいますけど、結局はそれはこの地上の現実で肉体を持った誰かに指導されていることと同じですから、指導者が指導してくれることに対して感謝して尊重するのは大切ではあれど、言われたからと言って考えることなしに全部その通り従うと言うのは違うわけです。

私を見ている守護霊は2人いて、一人は上記のようにチベットでアセンションまで到達した修行僧ですけど、もう一人はとある異世界というか遠くの星にある王国のプリンセスで、こちらは割と地上の現世に無関心で、何があっても眺めているだけです。どちらも人間型ですけど。見えないガイドというのは結局は意識体であって、それぞれに指導の特徴があります。ガイドというのは人間だったり天使だったりしますけど、大体は人間あるいはそれに準じた存在ですから、体を持って生きている指導者と同じように接すればいいわけです。ですから、「対処が手ぬるい」と言われたとして、それをどう受け止めて考えるかも自分次第ということです。

この種のことは、言われたことを元に自分の頭で考えて、最終的には自分で決断を下す必要があるわけです。その時の決断の根拠になるのは自分の奥底から湧き上がってくるインスピレーションになります。

呪いへの対処方法としても色々なものがあって、世界標準で言えば徹底的にやり返してしまって二度と呪ってこないようにするのが基本のようですけど、私の魂の系列から言うとそういう野暮ったい対処方法は合っていないように思います。厳しく対処するようにガイドは言っていますし、対処が甘いと自分でも感じることも多々ありますけど、私は言われたそのまま同じようにすることはなくて、私は私なりの判断でそれぞれの場合に対処するわけです。ですけど、確かに、結局はガイドの言うことが正しいのかな、という気がする時も時々はあります。私はちょっと甘いのかもしれません。

私の理解では地球由来の魂と割と宇宙由来の魂とで対処方法が違っていて、地球由来の人は割と荒っぽくて、そもそも地球由来の人は「怒り」という感情を自分で発することができて、激昂するなどして他者の呪いに対して対抗することができます。一方、宇宙由来の人は「怒り」という感情をそもそも知らないが故に、感情で他者の呪いに対して抵抗したり跳ね返す術を知らずにされるがままになってしまう、という状況があるかと思います。

ですので、地球由来の人にとってみれば「怒り」は身近なものでありますから「自分の怒りを鎮めましょう」ということになりますし、宇宙由来の人はあまり怒りという感情を(少なくとも生まれた当初は)知りませんので怒りという感情が何なのかを学んで多少なりとも「感情」を意図的に出して他者の呪いに抵抗する術を学ぶ必要があるように思います。

地球由来の人は割と荒っぽくて対処も厳しいですし感情で呪いを跳ね返したりむしろ呪いを自分で発する方かもしれませんのでこの種の呪いの悩みはあまりないのかもしれませんけど、宇宙由来の人は他者の呪いを最初はそのまま受け止めてしまって苦しんで後でようやく対処できるようになるという段階を踏むように思います。

私についている見えないガイド2人のうち、チベット系のガイドは地球由来の魂で割と対処も荒っぽくて呪いに対しては徹底的にやり返せという方で、お姫様の方は宇宙由来で基本は穏やかで呪いも含めてほとんどのことにはスルーして見ているだけです。お姫様は基本的には見ているだけですけど女性の躾とかには厳しい感じの意見が時折出たりしますので、関心ごとが違うようです。

地球由来の人向けのスピリチュアルは割とヨーガみたいに感情を鎮めましょうというお話になって、宇宙由来の人向けのスピリチュアルは自由に楽しく生きて自分を解放しましょうみたいな明るい雰囲気で、方向性が違うというお話もあります。

簡単に最後にまとめますと、基本は自分の波動を高めることでありつつもトラウマの呪いに対する対処はすべきということになります。対処の基本は呪いのトラウマを自分のオーラから引き抜くことで、しつこい呪いに対しては相手への対処が必要になってくる場合もありますが対処する上でも他人を傷つけないことが基本でありつつも呪いを返してあげることは高次の観点からは問題なくて、実のところ宇宙的観点からするとどちらも大差なくて、結局は基本である、自己の波動を高める、というところが根本の解決になるわけです。