スピリチュアルの言う「トラウマを受け入れましょう」は非現実的(分割6/7)


(前回からの続き)

スピリチュアル系のお花畑のお話ではトラウマの対処方法として「受け入れましょう」とか「愛で浄化」とか生ぬるいこと言ってますけど、それは自分で作り出したトラウマならそういうお話もあるのですけど、実のところこの世界で蔓延しているトラウマのうち大部分は他人からの呪いで植え付けられた、自分には本来関係のないトラウマだったりしますので、そんなスピリチュアルのお話が常識になってしまったら呪う側からしたらやりたい放題になってしまうわけです。かと言って自分が逆に相手を呪うと、少し前に書きましたように、呪いというのは自分に残ってしまったり戻ってきてしまったりしますので「やり返さない」というのは基本ではありますし、そもそも怒ったり憎んだりということが何なのかよくわからなくてそういう怒りの感情を自分で持つことがない人にとっては自分で憎むとかいうお話とは無縁なわけです。であればやり返すということにはなりようがないわけです。

自分の奥底を見たときに憎しみとか怒りがないのにも関わらず不意にトリガーが発動して苦しいイメージや怖い言葉が飛び込んできたりするのが呪いの特徴ですので、呪いに対処することはあれど、呪い返さない、というのは基本といいますか、そもそも自分の中の根源に怒りとか憎むとかいう感情がなければ呪い返すということにはそもそもならないわけです。

呪ってきた術の部分のオーラをそのまま自分のオーラから引き離して相手に返してあげる、ということはしてもいいと思います。元々、その人のものだったのですから、特に問題はないわけです。ただしそれには少しスキルが必要で、もしそれが可能であれば、というお話ではありますが。うまくやらないと自分のオーラもごっそり持って行かれてしまいますのであまりお勧めはしません。

基本は、少し前に書いた呪いのトラウマの対処方法などをすればいいと思います。

この種の話は2つの系統があって、1つは確かに純粋にトラウマに対処しましょうというお話で、スピリチュアルの本筋でもありますので、自分自身のトラウマに対処するためには「受け入れ」とか「愛を高める」みたいなところが本筋になります。それはそうなのですけど、今の社会は人里離れたところでゆっくりと暮らしているわけではなく雑踏の中で皆が暮らしており、もはや自分自身の葛藤だけに対処するという時代でもない訳です。

もう1つの系統は、術とか、人との関わり合いの感情面、スキル的、あるいは、自分のトラウマのゴミ箱として他人を使う系統で、それは割と純粋なスピリチュアルな理論をねじ曲げて、うまいところだけ使って相手を説得させた上で他人を道具として使おうとしてきます。実際には、呪いという形あるいはそうでなくても誰かのトラウマを他の誰かに押し付け、実際には他人のトラウマであるのに、当人はそれが他人のトラウマであると気付かず、呪いやトラウマを、押し付けられた当人が「受け入れて」対処する必要がある、みたいに偏屈なことを、もっともらしい理屈で納得させた上で、自分のトラウマを誰かに押し付けて解消させるためだけに他人を利用しようとして、そのように自分に都合の良い人を育てようとする流派が、必ずしもスピリチュアルと名乗ってはいなかったりするものの、それなりにあったりします。団体でなくとも、国家間の破壊工作でこのようなお話が宣伝されることもあります。スピリチュアルをやっている当人は何も知らないことも多いですので当人の悪意がないことがほとんどで、ですけど、理屈を見ればおかしい、ということがわかる訳です。これは、他人を奴隷にしたい、という系統と一致します。

そのような、おかしな流派や団体があったりしますし、実際、トラウマの大部分の原因は自分ではなく他人にあるのですから、スピリチュアルでもっともらしく言われている「トラウマを受け入れましょう」などというお話は間に受けない方が良い訳です。

おそらくは、自分の波動を高めるという意味での「(自分が作ってしまった)ト○ウ○を(自分が作ってしまったものですあら)受け入れましょう」と言う意味だったのかなと好意的に解釈はできるのですけど、おそらくはそれを聞いた他の人が都合よく解釈して使い回しているうちに元々の意味とは違って多くが解釈したり違って使われることになったのかな、と思っておりますが。どうでしょうかね。スピリチュアルは楽しいことばかりではなくて、いい顔をしながら「精神的に誰かを奴隷にしたい人」が時々寄ってきて、このような都合の良い解釈をして奴隷人間を作り出そうとしたりしますので、気をつける必要があるわけです。この種のお話は、トラウマのゴミ箱の人間を作りたいだけの人が都合よく解釈していたりします。純粋な人は「うーん、そうかな」と思ってそれがスピリチュアルだ、と思い込んでしまったりして、言葉は言霊になってしまいますからそのように単純に言ってしまうと他人のトラウマも受け入れるということになってしまいますので、思う壺になってしまうわけです。同じような言葉を言うにしても、内容をしっかりと理解した上で、言うとしたらきっちりと、少し長い言葉を使って「・・・は自分のものではないので受け入れません。・・・は自分が作り出したものですので理解するために受け入れます」などと自分で納得のいく腑に落ちる言葉に変えてアファメーションなどに使うのが良いと思います。

確かに、ある程度の対処をした後に、自分に残ってしまったトラウマのオーラを浄化するためにそのような「受け入れ」、「愛」あるいはクンダリーニのエネルギーで昇華するのは一つの手法ではあります。程度問題でもありますし、状況にもよりますし、絶対的な答えはないお話ではありますが。ですので、言っていることはそうは間違ってはいないと思うのです。元々言われていることを好意的に解釈しようとすればいくらでも解釈できるのですけど、実際にそのような言葉を発している人を見ると、どうも違って使われているように思うわけです。まず波動を高めて、残ったトラウマを何がしか対処する、という方法があるわけです。と、言いますか、実はそれが基本であったりします。

少し補足ですけど、トラウマのような激しい鋭い思念波は必ずしも何がしかのトリガーとは無関係に突如として現れることがありますので、一時に不意に現れる思念波に対してはできることは何もなかったりすることがあります。現実の道を歩いていると、ちょっと頭のおかしそうな人がふらふらと歩いていて周囲の人に怒鳴り散らかしていたりすることを(地域性もありますけど)たまに見たりしますけど、ちょうどそんな感じでそこらを見えない浮遊霊がふらふらと漂っていて周囲に怒鳴り散らかしていたりする思念波をキャッチしてしまうと呪いあるいはトラウマかのように思えてしまうこともあるかもしれません。ですけど実際にはそれは一時的なものであったりするわけです。トラウマというと何度も現れるのが特徴なわけですけど、過渡的にトラウマに似たような強い思念波が一時的にトラウマと同じように現れることがあるわけです。何も脈略なしに突如として別の事象に対する思念波だけが飛んでくることがあって、それは時に前触れなく現れたりしますので、原因を突き止めることが難しかったりします。このような、不意に現れるけれども原因がよくわからない思念波というのはとても多くて、色々と対処方法を書きましたけど対処できるのはトラウマとして「再現性」があるものが主で、過渡的に一時的にだけ現れて再現性がないものに関しては根本のところで自分の波動を上げるくらいしか対処することがなかったりします。

実のところそうして自分の波動を上げることが基本であって、対処方法というのはそれでも残っているトラウマをうまく対処するための方法であると言えます。ただ、トラウマの対処方法としては急を要しますのでそうも言っていられないところがあって、トラウマをなるべく先に対処しつつも、やはり基本は自分の波動を高める、というところではあります。

実のところ、こう言ってしまうと身も蓋もないのですけど、究極的にきちんとトラウマに対処するにはどうしても自分の波動を高める必要があって、一時的に何がしかの対処をしたとしても、長期的な視点で見れば根本的な対処としては自分の波動を高めるしかない、というところがあります。

そうは言われても、波動を上げるなんてすぐには無理ですし、そう言われても何のことかわからず途方に暮れますよね。せいぜいその気になることが関の山であるわけです。そのくらいなら、とりあえず波動を上げるとかいう基本のお話は緊急の場合は置いておいて、目の前のトラウマに対処するのがいいように思います。その上で、波動を上げる話は長期視点で取り組むわけです。

(トラウマと呪いのシリーズ、6/7です。続きます。)