他人からの呪いのトラウマは自分にとって「代名詞」と「視点」と「方向」がおかしい(分割3/7)


(前回からの続き)

私の場合、あまり意識せずに暮らしていても毎日が楽しいので割と笑顔で過ごしているために、特に若い頃は、何となしに私が同年代の女の人を見ると私がキラキラ笑顔をしているので女性の方は「あれ、私(女性)のこと好きなのかしら」と勘違いしてくれて、私からするとただ単に毎日が楽しくて笑顔でいるだけですので、たまたまそっちを向いただけだったりして全く意識していなかったりするわけですけど、そうして女性の方が勘違いしてくれるものですから、その女性を好きな男が私を勝手にライバル視して私を呪ってくる、ということがしょっちゅうありました。ほんとこれはいい迷惑で、私はどうでも良い女のことで私の知らないところで勝手に呪われて思念波を飛ばされたりしていて、意味のわからない呪いでトラウマ発動、みたいなことが若い頃はよくあって、原因を探ったり解決するのに苦労しました。

私はそうして、あまり知らないところで勝手に恋敵から呪われる、みたいなことがよくあったわけですけれども、そうして意味不明なトラウマを受けた結果、おそらく呪われたと思われるトラウマの思念をしっかりと観察してみると「代名詞」や「視点」がおかしかったりするわけです。それは、呪った方からの視点での代名詞になっていますので、トラウマを感じている方の視点ではないのです。トラウマの思念波の視点がおかしいのですよね。

そういう点でも、それが「私」が作り出したトラウマではない、「私」が原因によるトラウマではない、ということがわかりますし、そもそも、トラウマは自分にとって意味不明のトリガーで発動しますしトラウマの内容も自分に心当たりのない内容だったりします。

例えば、私は男ですけど、勝手に私を恋敵とみなして呪ってきた男が発したと思われる呪いがあります。その呪いの発動トリガーは「私が昔、知り合いだった女性のことを思い浮かべること」プラス「その時の状況に似た展示会のような環境のイメージ」が組み合わさると発動して、発動した時に流れる思念波は「私とその女性に対する怒り」と「私とその女性に対しての殺意」だったりします。おそらくは一応は恋人で付き合っている風の二人だったようですけど、女性の気持ちが私に傾いたことを見て、私に対しては怒りと殺意、その女性に対しても裏切りの怒りと殺意を抱いたようなのです。その時、思念波で再生される「代名詞」は私が普段その女性に対して使っていた呼び方ではなかったり、普段私が他の人に対して使う代名詞の使い方や感覚とは違っていたので、そのトラウマの思念波を発している原因が「私」ではないことが理解できたわけです。もっと具体的に言うと、その思念波が教えてくれることには、その、私を呪った男性はおそらくその女性と深い関係だったことがあって(おそらく、それなりに継続中で)かなり信用していたのに、その信用を裏切って私の方に気が向いたものだから、裏切られたという思いと、裏切られるくらいならその女性を殺してやるという殺意とが入り混じっている呪いがそのトラウマに含まれていて、女性が私の方に気があるのを見て「あぁ、そんなの嫌だ、嫌だ、嫌だ、(自分を裏切ったその女性を)死ね、死ね、死ね、あの女、嫌だ、あの女、嫌だ、あの女、嫌だ。裏切った憎い女。嫌われるくらいなら殺してやる」みたいなひねくれた殺意がその呪いの思念波に含まれていたわけです。ですけど、私からすると全くそんなことに心当たりがないので、急にそんな呪いをかけられて、しかも内容が最初はさっぱり理解できずにトラウマが呪いの術として発動して急激な精神虚脱状態に陥ったりしていましたので、かなり昔は苦労しました。今も不意に少し思い出したりするトラウマもあったりして、しっかりと深くかかった呪いの術は長く人を苦しめるという実例のように思います。

ですから、私は、そのように易々と他人を呪ってくるような「嫉妬する男」が大嫌いなわけです。いい迷惑です。ほんと、知らぬところで勝手に呪ってくるなんて、勘弁してください。そもそも、他人を呪う気持ちというのが私にはあまり理解できなくて、どうしたらそこまで深く他人を呪えるのか知りませんし、知ろうとも思わないわけですけれども、それでも、誰かが勝手に呪ってきたりするのでそれに対処をせざるを得ない状況なわけです。

他の例としては、これまた男女関係になってしまいますけど、私に対してちょっとした誤解みたいなのがあって、私に対して「死ね」と念じてきた想念がそのまま飛んできて怨念として残り、私にとってのトラウマになってしまったものがあります。この場合、トラウマをよく観察してみると、「視点」が、「私に対して」の怨念な訳です。トラウマなのだからそんなものだ、と思われるかもしれませんけど、この「視点」をしっかり観察して見極めることは重要で、「元」は「誰が作り出した」怨念なのか、その視点から見極めることができるわけです。トラウマの対処というと単純に癒しだとか受け入れだとかいうお話になったりもしますけど、実のところ、自分に原因はなかったりするわけです。呪われるようなことを私の方がした場合もあるにはありますけど、直接的に呪うという行為をしたのは相手なわけですから、問題があるのは相手なわけです。呪われたこちらは、ある意味、被害者や犠牲者とも言えます。

これらの呪いのトラウマには、方向性があります。思念の方向性として、誰から誰に向かって呪いのエネルギーが飛んでいるのか、方向があるわけです。とは言いましてもトラウマが浮かび上がってきた瞬間はただただ苦しくて我を失って意識がなくなったりするようなことも時と場合によってはありますし、思い出したくもないことも多いですのですぐにその方向性までも理解するのは難しいとは思いますけど、次第に弱くなってた時に方向性も見極めることで「ああ、これは私が作り出したものではない」ことが理解できるわけです。

特にスピリチュアルな人にとってはこの種の感受性が強くて、多少の呪いとトラウマでも強く感知してしまうことがありますので、他人が思う以上に呪いのトラウマに強く影響されてしまうことがあります。そして、呪いとトラウマに対する理解がなされていないがために「トラウマは対処しないと」とか「トラウマはインナーチャイルドだから癒さないと」みたいに自分の問題として対処しがちですけど、実のところ、そのトラウマの大半は自分が原因ではなかったりするわけです。

とは言いましても、私は元々、怒りとは何なのか知らなかったような子供時代を送ってきましたので、実のところ他の人は事情が違うのかもしれませんけど。私の場合、自分の数々のトラウマの原因を瞑想などで探ってみたところ、そのほとんど全てが他人による呪いによるトラウマだったように思います。

トラウマは過去世の出来事に繋がっていることもあって、私は分霊になってから転生が2回の若い魂と言えばそうですけど、元となるグループソウルには色々な経験をした魂が混ざっていて、今回の私の人生の目的の1つはそれらグループソウルが溜め込んでしまったカルマの解消であるが故に、当時の出来事に繋がるトラウマを思い出すことがあります。元々「自分が原因によるトラウマではないので気にすることはない」「今の私がそこまで責任を負う必要はない」と私の見えないガイドから言われてはいたのですけど、それは「グループソウルの分霊が原因で作り出した呪いのトラウマではない」と言う意味でもあったわけです。ですけど、そう言われてはいたものの、生きているうちに認知が歪んでしまって、やがてはそれを「グループソウルの分霊がそれぞれの過去世のうちに作り出したトラウマなので気にすることはない、だから、今の私がそこまで責任を負う必要はない」と言う意味に捉えるようになっていました。元々の理解から離れて、認知の歪みにより違って解釈するようになってしまっていたわけです。実際のところ、それは「当時の自分相当の分霊が他人の呪いを受け取ってしまったことによるトラウマ」であるわけですので、正しく認知する方が良いわけです。今いる自分と当時の分霊という二項対立で捉えるのではなくて、今いる自分(あるいは当時の分霊である自分相当)と(当時に)呪いを作り出した呪い主、という二項対立で捉えるべきだったわけです。視点として、呪いを作り出したのは今いる現代の自分でもなければ当時の分霊でもなかったわけです。当時の(グループソウルの)分霊はその人生において使命を果たしていたわけですけど、色々と世の中を変えようとすると既得権益を持つ抵抗勢力が現れて、現世利益のために色々と嫌がらせや攻撃を仕掛けてくるのはどの時代もそうは変わらないので、その攻撃の一部には呪いの思念波も含まれていて、その強く呪われた怨念がトラウマとして残っていたわけです。それらのトラウマは、どうしてそんな私の知る由もないトラウマがあるのだろうと長年思ってきましたけど、それは、呪いというものやトラウマというものが何なのかを理解しさえすれば、対処こそすれ、その原因について私があまり気にする必要はないわけです。

この辺りは、しっかりと思念波の方向性を理解しなければ単純に「楽かどうか」みたいな単純なお話に陥りがちで、単純なお話に落ちてしまうと、誰が原因で呪いが作られたのかの解析にまで至らないわけです。

この種の解析とは別に、波動を高めてオーラを強化して呪いに影響されないようにする、というお話もありますけど、それらは割と車輪の両輪で、単に波動やオーラを高めるだけでは不十分で、それと同時に、原因を見極められるだけの波動に対する感知力を高める必要があるわけです。

(トラウマと呪いのシリーズ、3/7です。続きます。)