透視能力者の礼節

2020-03-07 記載
トピックスピリチュアル

・勝手に(相手の運命などを透視して)見ない。
・勝手に(守護霊に)聞かない。
・勝手に(守護霊などと)話さない。
・勝手に(見聞きした内容を、本人、あるいは他の人に)喋らない。
・聞かれていないのに(本人に)答えない。

生まれながらの能力者にこれらの基本的な社会人としてのマナーが欠如している人が散見されますが、よろしいことではありません。生まれつきではない場合は多少は社会人経験も積んでいるでしょうからこのようなことは少ない気も致します。ですが、大切にすべき点は同じです。

まあ、興味本位で近くにいる人のオーラをちょっと見るくらいはついつい見てしまったというくらいで悪気もないのでそれほど咎められることでもありませんが、それでも、あまり良いことではありません。

見るだけならともかく、そのことで本人に何か指摘したりすべきではありません。

これは、基本的な礼節です。

本人はその人生を生きているのですから、本人が気付くまでそのレッスンは続くのです。

それを、上から視点で「こっちだ」というのは本人のレッスンが「やり直し」になってしまう危険性もあるくらいの迷惑な行為で、せっかく守護霊や本人たちが状況を整えて勉強できるようにしたのに透視能力者の余計な一言でセッティングが台無しになってしまうことさえあるのです。

例えるならば、ドラマの撮影のセッティングの場面に無関係な人が映り込んでしまって撮り直しになってしまうような残念なことであるわけです。ドラマの撮影に関わる全員が大迷惑を被るわけです。人は全てそのようなドラマのようなものですから、人の人生に関わる守護霊一同がとてつもない迷惑を被る場合があるのです。場合によっては守護霊に恨まれる場合もあるかもしれません。守護霊と言っても程度がいろいろあって、ちょっと道徳があるくらいの普通の人が死後に守護霊(見習い)になる場合などは恨みを持つ場合があるかもしれませんから注意が必要です。

他人のレッスンはどうであろうと、それを「体験」するまでは終わらないのですから、放っておけばいいのです。勝手に指摘するのは、足を引っ張るようなものです。

一方で、本人の希望でカウンセリングする場合はその時限りで、聞かれた範囲に対して答えるのはOKです。

基本的なルールはビジネスや心理学におけるカウンセリングと同一です。

あくまでも本人が人生の主人公であって、主人公が行き先を決めているのであって他人が指図する必要はないのです。

勝手に指図するとしたらそれはエゴであり、傲慢であり、余計なお世話なのです。

カウンセリングの場合は、あくまでも参考意見として伝えるだけです。本人が最終的な決断を下すわけです。

ただ、スピリチュアルには依存症の人もいて、他人に決めてもらいたい人が一定数いますが、それはあまり良いことではありません。依存症の人に決断をお願いされてもそれは断るべきことだと私なんかは思います。

相談者が依存症であるのならば、自分で決断できるようになるというのがまず解決すべきレッスンかもしれないのです。時には冷たく突き放す必要があるかもしれませんし、決断してくれないからと言って恨まれるかもしれませんが、どちらにせよ、自分で決断することができるこの世界の自由意志の大切さと人間の基本的な意思について理解してもらう必要があるわけです。

カウンセラーや透視能力者は往々にして先を話しがちで指摘しすぎる傾向がありますので、そこは気をつける必要があると思います。

個人的には、スピリチュアルなカウンセリングもそんなに意味はないような気もしております。意味があるとすれば目に見えない世界があることを「確認」するという点や、自分の出した答えが正しいかどうかを「確認」するためには使えるかな、と思っております。最近は主に後者ですね。答えの「確かめ」にスピリチュアルなカウンセラーを使うのはアリだと思います。

スピリチュアルなカウンセラーになって相談を聞くのはそれなりにリスクがあります。求める答えではなかった場合の回答であった場合に恨まれたり、願い事を叶えてくれないとわかると、これまた恨まれたりします(苦笑)

ですから、スピリチュアルなカウンセリングで相談されるのは損な立場だなあ、と思うわけですが・・・ それよりも、一般的な人生の教訓である、例えば仏教の八正道とか説いていた方がよっぽど世の中のためになるのではないかと最近なんかは思います。ヨーガのヤマ・ニヤマのような基本的な道徳ですね。

いくらスピリチュアルに理解があって興味があっても現世利益を追求するのなら意味がなくて、そこから八正道のような基本的な道徳のお話につながらなければスピリチュアルも意味はなくて、むしろ透視なんかなくても八正道がありさえすれば十分なんじゃないかとも最近は思います。

透視能力者は、本質的なところで本当のスピリチュアルの本筋で役立っていないのでは、という気も致します。 本質なのは、やはり八正道のような基本的な部分であると思うのです。

と、いうわけで、透視能力者は礼節をもって、基本的には引っ込んでいるべきだなあ、と私なんかは思うわけです。