今日はクラクフの宿からアウシュヴィッツのツアーに参加したが、想像以上に酷かった。
髪の毛やカバンの山が凄くて吐き気がした。
髪の毛をリアルに10秒直視できない。 したら本当に吐くだろう。 数秒見ると気分が悪くなって吐き気がしてくるので一旦目をそらせて気持ちを落ち着かせて、再度数秒見る、というのを繰り返すのが最高だ。
中はほとんど撮影可だが、この髪の毛の部屋と地下の拷問・監禁室(明かりのない部屋、立ちっぱなしの部屋、などがある)の2カ所が撮影禁止だった。 そりゃそうだろうなあ・・・。 何かいそうだよ・・・。
前のエントリに書いたようにツアーしか選択肢がなかったが、きちんと説明してくれて結果としては良かった。
まずはアウシュヴィッツ1から。
ここは敷地としては小さいが、主要な設備は一通り揃っている。 ツアーはまずここで2時間回る。
↓ 有名な「働けば自由になる」の看板。
↑ 看板の B が逆になっている。 一説には反逆の象徴とも言われているが、元は(?)当時の流行の書体だったようだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/働けば自由になる
↓ ガス室の模型
↓ 毒ガスの空き缶
↓ 眼鏡
↓ ユダヤ教徒の服
↓ 身の回り品の写真
↓ 義足など
↓ ポットなど台所用品
↓ 日用雑貨
↓ カバン。 名前が書かれている。 ここも、酷く気分が悪くなって、髪の毛の部屋ほどではないが吐き気がした。 これは酷いよ。 リアルに見ると凄い。
↓ 子供の持ち物
↓ 靴。 子供サイズから大人サイズまで両方入り交じっている
↓ ブラシやひげ剃りクリームの泡立て器など
↓ 缶など
↓ 入所してしばらくは、ベッドではなく、このような藁の上に寝たらしい・・・。
↓ 丸坊主の写真が多い
↓ トイレ
↓ 風呂場らしい。 これでは、シャワーというよりは水をくんで体にかける場所のように見える。
↓ 暖房。 とは言っても、暖房は不足していたらしい
↓ 汚い3段ベッドだが、これはましな方。 ベッドがあるだけまし。 ベッドの中でもましな分類に入る。
↓ この地下に拷問室がある。 明かりのない部屋、立ちっぱなしの部屋・・・。 そこは撮影禁止。
↓ 汚い毛布だが、あるだけましだったようだ。
↓ ここに、銃殺刑の執行場所がある。 建物の間で、壁に囲まれている。
↓ ちょっと分かり辛いっが、絞首刑のための物干し竿みたいなものがある。
↑ 木の柱の上に、鉄道のレールが付けられている。
↓ 次に、ガス室を見学する。 ここのガス室は小さいが、それでも内容を見るには十分だ。 ここがツアーを通して唯一の見学になる。 アウシュヴィッツ2にもいくつかガス室があるが、そこはツアーでは行かなかった。
↑ ガス室の存在は、理解に苦しむ。 人間を人間として見ていない、と理解すればよいのか。 他人に対する無関心と高度な事務能力がこういったものを作らせるのか?
アウシュヴィッツ1はこれで終わり。
一旦バスに戻って、5分ほど乗ってアウシュヴィッツ2(ビルケナウ)に移動します。
アウシュヴィッツ2(ビルケナウ)は、とても広い敷地になっている。
貨物車に人間が押し込まれて何日もの間、水も食料もなく、ここまでやって来たとのこと。
貨物車1つに150人(!)も詰め込まれたのだとか。
衰弱している者はそのままガス室送り。
子供は労働力にならないのでガス室送り。 理解に苦しむ。
↓ この小さな建物はトイレ。 1日2回、時間が決められていた。 しかも遠くにぽつんとあるし、数も少ない。 プライバシーもない。
↓ ここは風呂との説明だったが、アウシュヴィッツ1と同様、単に水をくんでかけるだけのようだ。 お粗末な設備だ。
↓ 近くにある宿舎を見学。
↓ 足場は土のままで埃が立ちやすく、粗末に作られたコンクリートと3段ベッド。 一番下は埃が凄いだろう。
戦時中とは言え、酷いものだ。
そして、入り口に戻ってきてから展望台に登る。
ここからは、線路がよく見える。
線路の車両から出てきた人々もよく見えただろう。 ガス室に行く人たちも。
そしてツアーは終了する。
第三強制収容所モノヴィッツはプラントが主で現在は残っていないようだ。 そこの見学は含まれていなかった。
来る前まではホロコーストを一応知識として認識していたが、来てみると、それがリアルに起こったものとして実感が沸いてきた。 実際に体験する経験にはかなわないだろうが、それでも、来て見ることに価値はあると思う。 知人にもお勧めするだろう。 ここは生きているうちに行くべき場所のうちの1つだ。 というか、この時代に生きていて多少なりともホロコーストに関心があるのならばここに来るのは義務に近いかもしれない。
テレビとかで見ても、来た今でも、どこか理解できない感じで、ちょっと理解を超えている。
過去の出来事だからということもあるかもしれない。
イスラエルに行った時、ホロコースト博物館には行ったがツアーには参加しなかった。
今思えばイスラエルでこそホロコースト博物館のツアーに参加すべきだった。
もっと生々しい話が聞けたかもしれない。
ここにもユダヤ人それなりにいたけど、みんな、冷静に見えた。 見えるだけで内心はそうではないのかもしれないけれども。 今では歴史の1ページになっているのかもしれないが。
イスラエルでは、ここは修学旅行の定番コースらしい。 確かに、ここは来るべき場所だ。
ところで、話した中ではドイツ人が不思議といなかった。 たまたまかな。 それとも、ドイツ人にとって忘れたい歴史なのか。
参考:
https://ja.wikipedia.org/wiki/アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所